炎の龍と火焔剣

「なんだって……?」

 金属に亀裂の入る微かな、高い音が自分の手元から発せられている。
 ニチは自分が持つ剣に目を向けた。
 つられるようにしてケムリも火焔剣を見ると、炎を反射する刀身に見落とす事のできない亀裂が入っていた。
 はっとして炎の龍を見れば、その身体の中にマツラを捕らえている龍の赤い腹が大きく膨れ上がる。
 火焔剣から聞こえる小さな音が僅かに加速し、比例して龍はさらに大きく膨らみ、二人が見守る中炎の燃える音の残渣を残して破裂した。
 同時に、ひときわ高い音を立てて火焔剣もまっぷたつに折れる。
 こぼれた破片は、演習場に降り注ぐ火の粉の朱をきらきらと反射させて地面に落ちた。
 ニチの手に残った柄には、無惨に短くなった刀身が付属するのみとなり、かつての愛剣はその姿を留めていない。
 火龍に飲まれ、倒れているかと思った少女はどこかぼんやりとした表情で立ち尽くしている。
 感情の読めない彼女の様子に、ケムリが控えめに名前を呼んだ。

「マツラ」

 ケムリの声に視線をあげた、未熟すぎる魔術師の未知数な力にニチは胸が高鳴るのを感じた。
 彼女を中心に、ニチが熱した場内の空気が塗り換えられていく。

「大丈夫、か……?」

 様子を伺うケムリの問いかけに、新緑の瞳が一度ゆっくりと瞬きをした。

「はい」

 短い声は、最後に聞いた悲鳴が嘘のように落ち着いていた。
 彼女が火龍に飲まれていた短い間に、その中で何が起こったのかケムリとニチにはわからない。
 しかし、この僅かの時間でマツラは明らかに変わった。

 あと二十年、いや十年でもいい。
 自分がもう少し若ければ、この娘をどう育てただろう。
 ずっと、こういう逸材を探していた。
 自分の攻撃にも耐えうる弟子。
「いいぞ、こうでないと……」
 ニチは赤い眼をきらきらと輝かせて、小さく呟いた。
 久しく忘れていた感覚に思わず笑いそうになるのを堪えて、奥歯に力を入れる。
 折れた剣は惜しいが、それにも勝る高揚感が彼女を包んでいた。

 いまだ降り注ぐ火の粉の下では、マツラが静かな瞳でニチとケムリを見ている。

 火龍だったものはすっかり消えて、あたりの温度はとうとう正常を取り戻す。一転冬の寒さが戻ってきた。
 静けさの戻ってきた場内で、マツラは考えるようにしてもう使い物にならないであろう女の剣を指さす。

「それは、何ですか」

 最初、火龍は女の魔法かと思った。
 だが喰われてわかった。

「魔法じゃない。さっきの生き物はその剣を棲みかにしていた」

 龍の出所が彼女ではなく、その手にある剣であり、女は火で出来た生き物を使役している。
 普通じゃない。
 剣も、女も。
 マツラの推理に、女は満足そうに笑う。

「そこまで分かったんなら上出来じゃないか。これはただの骨董品だよ」

 膝をついて砕けた剣の破片を拾いながら、彼女は目を細めた。

「古い古い、時代遅れの……思い出の品さ」

 さっきまでの熾烈な表情とは一転して穏やかに、女は言う。
 鬼気迫る攻撃の意志こそ消えたが、マツラには彼女の思惑が全く読めない。
 一体何が目的なのか。

「あなた、何者?」

 魔獣使いでは無いだろう。
 炎の生き物は魔獣とは違う。魔法と近い性質の何かだという事だけは感じられたが……
 しかし、立ち上がった女はマツラの問いに答えない。

「知る必要の無い事だよ」

 取り付く島もない口調。赤い瞳が鋭くマツラを見る。

「こいつはもう使えない。アタシも二度とアンタの前に現れる事は無い。知るだけ無駄だ」

 それよりも、と女は声に力を込めた。

「もっと強くなる事を考えな。魔王を倒すために必要な事をね」

 食い下がっても彼女は答えてはくれないだろうと、その一言で察することができた。だが、マツラは女の目を見つめ返して繰り返す。

「私は、あなたが何者なのかを知りたい」
「必要ない」
「そんなことない」

 否定に否定で返すと、女は視線を逸らして息を吐いた。

「言う事を聞きな。聞き分けのない子供じゃないんだ」

 子供じゃないから知りたいのに、どうしてそれが通じないのか。
 この話は終わりとばかりに、女は長い髪を揺らしながらマツラに背を向ける。

「マツラ。もし、またアンタと会えたら、その時は教えてやるよ」

 来るか来ないかも分からない“また”なんてあてにできない。
 結局知りたい事も、大切なことも、教えてはもらえないのだ。
 艶やかな黒髪の後ろ姿が、ゆっくりと一歩進むのを恨めしく睨んだ。
 威圧感も迫力も、彼女に比べれば皆無で、まるで様になっていなくても。背中ごしにでも、納得していない事が伝わればいい。

「そうそう、五老がお前たちを呼んでいたよ」

 数歩進んで立ち止まった女は、思い出したようにケムリとマツラを見る。
 赤い唇がにやりと歪んだのを、マツラは見逃さなかった。

 嫌な予感だけが積もっていく。
 ケムリが苦い顔をしたのがまさにその証のように思える。

「師匠は、あの人がなんなのか知ってるんですか?」

 問いに、ケムリは「いや」と歯切れの悪い返事をして首を振る。
 師の表情は晴れず、マツラはそっと彼を見上げてなんとか笑みを作った。

「師匠、戻りましょうか……? 私は、大丈夫ですから。ケープはちょっと焦げちゃいましたけど」

 これが、守ってくれた。
 マツラにつられるように、ケムリも表情を緩めるとすっかり泥だらけのマツラをしげしげと眺めた。

「刺繍の魔法は、確実に成長してるみたいだねぇ。これはすごい事だよ」

 色々と言いたい事はあるけれど、と続けてケムリはいつもの調子で快活に笑う。

「ケープも気にする事はない。なんたってここは本山だ。指定生地もすぐ買いに行けるからね。それより先に、君も僕もまずは着替える方が先だな」

「このままじゃ五老の所にだって行くに行けない」とおどけたように言った師匠に、マツラは確かに、と自分の格好を見下ろした。