手始めとしては

「それで、君は何ができるようになりたい?」

 ケムリの問いに、マツラは一度深く息を吸った。

「私は、戦えるようになりたいです」

 余裕の笑みをたたえ、悠然とこちらを見下ろす男の顔を思い出す。
 他の人間を無視して、マツラだけを見ていた水色の瞳。

「次にあの人と会った時、絶対に失敗しないように」

 共に来いと誘い、腕の一振りでマツラの魔法を打ち消した。

「今度は、私があの人を抑えられるように!」

 昔話は、魔王と共にある時代は混沌が支配すると語る。
 言い伝えの通り、グランディスには不穏な動きも見られ、オカリはそれを阻止するためにフィラシエルへ来たと話した。
 マツラは国や王都の事はわからない。
 だが、魔王と名乗るあの男が現れた事でマツラの周囲は一気に変化し、平穏は破られたのだ。
 魔王の目的はまだ知らない。
 しかし、マツラたちを取り巻く状況は悪くなる一方だ。
 世界に混乱を招くと言われた魔王は、間違いなくマツラの暮らす狭い世界をめちゃくちゃにしたのだ。

 ダケ・コシに来る前の平穏を取り戻す。
 目下、マツラの願いはそれだけだ。
 一人前の魔術師になるという目標は、取り戻した日常の先にある。
 元の生活に戻るためには、戦わないといけない。
 戦う事に馴染みのないマツラは、そのための魔法の扱いをもっと知る必要があった。

 唇を結んで見上げたケムリは腕を組んでしばらく考えるようにしていたが、やがて「そうか」と頷いた。

「じゃあ行こうか。本山にはどんな攻撃的な魔法も打ち放題できる場所がある。そこだったら、君の魔法が暴発したって誰に迷惑をかける事もない」

 ダケ・コシに来る前に修業していた場所では、マツラの魔法の暴走に配慮して周囲に人がいない事、壊れてはいけない物が無い場所を探して魔法を使っていたが、ここではその必要が無いらしい。

「そんな場所があるんですか」

 軽く目を見開いたマツラに、ケムリはゆっくりと歩きだしながら答える。

「本山には教育施設もあるからね。周りに被害が出るような魔法をおいそれと使う訳にはいかない、けれど実技として知る必要がある。そういう時に使ったりするんだ」

 初級や下位の魔術師では行く機会もそう無いだろうが、本山で学ぶ中位、あるいは上位魔術師ともなればどこかで必ず使う場所だ、と説明する。

「あとは……魔法武術とか専門でやってる連中もよく使うかな」

 神妙に頷いたマツラを見て、ケムリは「なんて事はない」と笑った。

「誰に遠慮する事無く魔法を使って、失敗しても誰も困らない場所だと思えばいい。カル・デイラでやっていたように、周りに気を使わなくていい。それだけだよ」

 魔法だけに集中できるぶん、こっちの方が環境は整っていると続いた師の言葉に、それもそうだと納得する。
 だが逆に考えると、勉強のためとはいえこの魔術師の本山では、専用の場所が用意されるほど危険な術や周囲に影響を与えるような魔法を頻繁に使う機会があるという事ではないか?
 そして意図してその場所を使う魔術師たちと違って、どんな暴発を起こすかわからないマツラは、その場所を使わなければ魔法を使う事もできないのだ。
 自分の不甲斐なさに、マツラは軽く俯いて唇を噛んだ。

 五老は多忙中と言われ、アサヒに許可を取り付けたケムリに連れられ、マツラは城の外に出た。
 正門を避け、小さな門を街とは違う方向に抜ける。整備された道をしばらくのぼっていくと、街の賑わいから遠く離れた道の向こうに塀が見えた。
 その向こうには、塀の高さを越えてひときわこんもりとした木の影がふたつ、少し離れて並んでいる。

「ここが、演習場だ」

 入口の扉に付けられていた南京錠を、アサヒに貸してもらった鍵で開けながらケムリは言う。
 久々に来るなぁ、と続いた声が、少し楽しそうだった。
 簡素な扉は少し錆びているようで、微かに耳障りな音をたてながらゆっくり開く。
 ケムリに続いて扉をくぐれば、塀の中は広場のようになっていた。

 百人以上が集まってもまだ余裕が有り余る演習場は、左右が対になるように作ってあるようだった。
 中央はしっかりと固められた茶色い地面がむき出しになっているが、その至る所が不自然に抉れたり盛り上がったりしていた。
 マツラたちが入った扉は、四角い塀の長辺の中ほどにあり、右と左にはそれぞれの奥に目を見張るような巨木がどっしりと腰をおろしている。
 その下にはそれぞれ年季の入った小さな小屋がこぢんまりと建っていた。
 演習場の中心を避けるように周囲に不規則に植えられている木の間には大小さまざまな岩も配置してある。
 演習場の景色は、見た事もない寂れ荒廃した村を彷彿とさせた。

「これは……」

 呟いて、再び場内の景色をぐるりと見渡せば、配置してある岩も、奇妙な亀裂が入ったり明らかに形が歪んでいたりする。
 植木も同じで、幹に焦げた跡がある物もあれば片方の枝だけが折れて不格好になっている物もある。
 じわじわと襲ってくる不安感をよそに、ケムリの声は明るい。

「昔は、ここで陣取り合戦をしたりしたもんだ」

 不穏すぎる光景に、おそるおそるケムリを見れば、師匠は懐かしそうに目を細めて左右の巨木を示した。

「あの木とこの木でチームを分けるんだ。それぞれの小屋の手前が各チームの陣地で、相手に木を制圧されたほうが負け。演習場の中はどういう風に使っても構わない」

 話だけ聞けば子供たちの遊びとそう変わらない。
 しかし、抉れた地面や砕かれた岩々、無理矢理捻じ曲げられた植木が、その陣取り合戦は決して平和なものではない事を物語っている。

「制圧すればいいだけなんだけどね。白熱しすぎて、あの木に穴を開けそうになってしまってね。懐かしい思い出だ」

 見れば、右側の巨木の中央あたりにひと際不自然に抉れている部分があった。黒く炭化しているようにも見えるが、多分気のせいではないのだろう。
 言葉をなくしたマツラに、思い出話はここまでだと、ケムリは演習場の中央に向かって足を進める。

「マツラ、演習場には二重の結界が施されている。どんな魔法を使っても、あの塀を越えて何か起こる事はない。そして場内で何か危険な魔法が使われても、もうひとつの結界が致命的な怪我や呪いから場内の人間を守ってくれる」

 さて、と足を止めたケムリはくるりと振り返ってマツラを見た。
 初めて会った時と同じ、そして見慣れた快活な笑みが向けられる。
 安心しなさい。
 そんな言葉が込められた師の表情に、寒さと緊張で強張っていた身体から少し力が抜けた。

「それじゃあ始めようか」

 竹刀の先を肩に乗せたケムリは、同じ笑顔のままで続けた。

「僕が魔王だと思って、好きに攻撃してごらん」

 いつもと変わらない師の言葉に、マツラは耳を疑った。

 対人なんて聞いていない!

「そんな事できませんよ!!」

 顔色を変えて抗議すると、ケムリは「何を怖がることがある?」と切り返す。

「演習場の結界についてはさっき説明しただろう?」
「でも!」

 食い下がるマツラを笑い飛ばしてケムリは続ける。

「いくら君がかのミウ・ナカサと同じ瞳をもち、彼女の力を受け継いでいても、普通に考えて僕がやられる訳ないだろ?」

 口ごもるマツラに、ケムリは肩を竦めて笑う。

「喧嘩ひとつした事もない、君の慣れない攻撃なんて、拳だろうが魔法だろうが恐るるに足りないね」

 ケムリの言葉はもっともだ。
 それでも素直に頷けないマツラにケムリはひとつ息をついた。

「君から来ないのなら、こっちから仕掛けるだけだ」

 マツラを見る黒い瞳に、一瞬獣を思わせる鋭い光が走り、いつもと同じはずの師の笑みが、がらりと印象を変えた。

「ま、まって、ししょ……!」
「いくぞ、マツラ」

 とん、とひとつ。ケムリの肩を竹刀が叩く。
 ゆるやかに風が吹いてきて、周囲の土が白く舞い上がりはじめた。