安全不可なメソッド
耳に馴染みの薄い訛りで、彼は「やっと見つけた」と二人に声をかけてきた。
振り向けばラクトがひょいと右手をあげる。
「おはようさん。こがん所におったとか。食堂はとっくに出たて言われるし、少しばかり探し回ったばい」
気怠げな朝の挨拶に続いた、ほんの少し不機嫌そうな声。
「お前ら朝から元気だな」と息をつくラクトはオカリに視線を向けると、真剣な面持ちで尋ねた。
「もう身体は良かとね」
「おかげ様で何の問題もないわ」
オカリは何でもない事のように笑みを返したが、ラクトは目を伏せる。
「そんなら良かった。……無理させて悪かったな」
ばつが悪そうに謝罪した彼に、オカリは心外だとばかりに言い返した。
「無理なんてしてないわ。アンタが気に病む事じゃないでしょ」
気にするなという言葉を向けられても、ラクトの表情は晴れない。
「強行の旅やった事に間違いは無か。疲れとる時にそがん事させて、すまんかった」
「な、何改まってるのよ」
再度の謝罪。
落ち着き払ったラクトとは対照的に、少し焦った様子のオカリは一度視線を逸らしてから再びラクトを見る。
それまでオカリの堂々として落ち着き払った姿しか知らなかったマツラは、しげしげと二人のやりとりを見つめた。
些細なやり取りの中の何が、彼女を焦らせたのだろう。
その原因を見つけるには、マツラとオカリが共有した時間はまだ少なすぎた。
と、オカリが何か思いついたようににやりと笑った。
「悪かったと思うんなら、約束どおりご飯でも奢ってちょうだいよ」
「約束?」
首を傾げたマツラに、「そうよ」とオカリは笑う。
「冬の夜中に寝ずに歩いた詫びに、フィラシエルに着いたらおいしいものを食べさせてくれるって約束したの。ね、ラクト?」
「忘れとらん。お前がそいで良かとなら、美味かもんば食わせちゃる」
快諾したラクトに対し、オカリの要求は数を増していく。
「ケチケチしたもんだったら許さないからね。あと、マツラも一緒よ。善は急げ。早い方がいいわ。頼んだわよ」
「あーはいはい。わかった、わかった」
「返事は一回!」
苦笑しながら相槌を打っていたラクトは、一喝されても緩い返事を返し「そういえば」とマツラとオカリを見比べた。
「今日はまだツツジば見とらんけど、一緒やなかとね。まさか、まだ寝とるとか言わんよな?」
「ツツジなら、スイ様からお呼びがかかって……」
「スイ様から? また、何で」
呟くラクトの眼に鋭い光が走る。
彼はツツジが決めた事を知っているのだろうか。
「……治療術を学ぶって、言ってた」
躊躇いながら答えたマツラに、ラクトは目を見開いた。
すぐに帰ってこない返事と泳ぐ視線で、ラクトが何も聞いていなかった、そしてこれは彼の予想外の事なのだとわかる。
彼にしてはわかりやすすぎる反応だった。
「おいおい、そいは嘘じゃなかろうもん?」
確認する声に、警戒の色が滲む。
明らかに様子の変わったラクトに、マツラとオカリは顔を見合わせた。
五老から直接指導される事が、滅多に無いであろうとは想像に易い。それにしても彼の驚き方は大袈裟すぎる。
加えて、まるで悪い知らせを受けたような反応だ。
初耳で驚く気持ちはわかるが、ツツジにとって実になりこそすれ、どうして止める必要があるのだろう。
今にもツツジを止めに行きそうなラクトに、何がいけないのかと疑問をぶつけると、心なしか青ざめたがマツラを見た。
「ばっ……お嬢、スイ様は別だ! あん人はヤバか。あん人だけは、マジでヤバか。まさかツツジがそいば知らんやったとは……」
顔を顰めて返された答えに、マツラはそれでも納得できない。
ケムリもツツジを行かせたのに、一体なにがヤバいのだ?
重ねて訊くと、ラクトは顰めていた顔をさらに苦しそうに歪めて、マツラから視線をそらす。
「ケムリ……あいつも何ば考えて……こがん時にも弟子の意思優先とか……」
苦々しく呟くだけで、はっきりと答えないラクトに、オカリが微かな苛立ちをにじませながら先を促す。
「さっさと言いなさいよ。それとも言えないような事なの?」
口に出す事も憚られるような話なのかと邪推していると、顔を顰めたまま、ひどく言いにくそうにラクトは話を始めた。
「あのな……スイ様の治療術は特別やろ?」
普通、治療術を行う場合は何かほかの動物を連れて行く必要がある。
傷や怪我を治すため、その動物の生命の流れを変えて“こちら”に持ってくるのだ。
そして治療術のため、生命力を奪われた動物はそのまま息絶える。
「治癒力を加速かせるために、他の生き物から生命の流れを奪い取る。治療術ていうとは、そういう“生贄”が必要な魔法やった」
ラクトの言葉に、オカリが腕を組んで息を吐いた。
「……でも、あのおねーさんは違う」
彼女はつい昨日、水の五老スイによる治療術を施されたばかりだ。
そのせいか有り余るほど心当たりがある素振りだが、マツラのほうは、水の五老の事をほとんど知らない。
ラクトを見れば、彼はマツラに向けて言葉を添えた。
「あん人の治療術は特別やけん。スイ様は、動物じゃなく、植物を使う」
頷いたオカリの隣で、マツラはどういう事だと表情で訴えてくる。ラクトは言葉を選びながら続ける。
「血の流れる生き物を贄に治療術は遂行される。血の無い植物から人を治療するための魔法ば使うとは、とんでもなく難しかて言われとる。―――俺は専門外やけん、普通の治療術すら使えんけど」
「スイ様には、それができるのね。でも、どうしてそれがダメなの?」
「そうよ。難しい事が出来るようになるんなら、逆にいいじゃない」
術の難易度だけでは、教えを乞う事の良し悪しが繋がらない。
まだ納得できていない二人にラクトはゆるく首を振った。
「術そのものは素晴らしか。植物から治療術ば使えるとなら、術に使うていう理由で死なすための動物ば育てる必要も無かけんね。問題は、教え方」
マツラとオカリが視線で先を促すと、深い溜息をついて辺りを確認したラクトは声を落とした。
「スイ様曰く、一回死にかけんば、あの術は使えん、と。そいで実際死にかけた上に習得できんやった奴もおる」
物騒な言葉にマツラは「冗談でしょう?」とラクトを伺ったが、彼の声や表情は至って真面目だった。
冗談であってほしいという思いは、叶いそうもない。
低い声で、オカリは更なる説明を求める。
「死にかけないと、ってどういう事よ」
「文字通り。あん人は、それ以外の教え方は心得とらんて、ハッキリ言うた。そいが本当なら、ツツジも一回死にかけんばいかん。万が一運の悪かったら……」
濁された言葉にぞっとする。
代わりにラクトは、再び最初と同じ言葉を繰り返した。
「止めに行かんば、ヤバかぞ」
その言葉に、マツラとオカリは顔を見合わせて互いに頷く。
放っておくなど、できるはずがない。
ツツジは兄弟子であり、友人でもある。
彼が危険な目にさらされようとするのを、黙って見ているなど問題外だ。
その気持ちはオカリも同じらしい。
「行くわよ」
「ラクト、案内して」
鋭い視線のオカリと、確かな決意の光る表情のマツラ。
二人に応えて頷いたラクトは「こっちだ」と静かな廊下を走り出した。
彼の後ろに続く二人をちらりと見て、ラクトは内心舌を巻いた。
オカリはさることながら、マツラからも以前は無かった迫力のようなものが感じられる。
美しい煌めきを放つ二対の瞳を向けられ、どこか萎縮しそうになった自分がいた。
古い昔話。
その中で、緑眼の魔術師ミウ・ナカサと、武術国の若き英雄王デオ・ヒノコと相まみえた魔王もこんな気分だったのかもしれないと思うと、少しだけ面白かった。