私たちは、手をとり進む
マツラの目指すところは一つだ。
みんな揃って、カル・デイラに帰る。
そのために必要な事も、マツラはわかっていた。
痺れた頭で、ゆっくりと首を縦に動かす。
「わかりました。私、王都に行きます」
テーブルのふちで握り締めた手が真っ白になるくらい力を込めて、マツラはニチからリモへ視線を移す。
王宮の魔術師の、優しさとは縁遠いとっつきにくい表情に親しみを感じる事はできない。
きっと、王都に行って長く一緒にいても、それは変わらないだろう。
リモ・トローラの周囲には、見えない壁が張り巡らされているのだ。
これから彼女と行動を共にするのかと思うと、悔しくて仕方ない。
ひとりで耐える事ならできる。
だがこれは、マツラ一人で終わる話ではないのだ。
マツラがもっと自在に、もっと上手に、魔法を扱う事ができたならば。
五老からこんな命令が下される事なんて無かった。
少なくとも、理不尽な命令にみんなが振り回される事は無かったはず。
胸の中が燃えるようだ。
こちらの気持ちなんてお構いなしにいいように決められてしまう。
どうにもならない事なんて分かっている。
それでも不本意である事だけは伝えないと。
でなければ、このまま最後まで走らされる。
この確信めいた予感は、マツラがおとなしく頷いている限り遠くない未来で現実になるだろう。
「王都には、行きます」
再び繰り返して、マツラは五老とリモを一瞥する。
ちくちく刺さるリモの視線に負けないように、怖じ気づいて噛まないように、ゆっくりと息を吸った。
「だけど、私の師匠はカル・デイラのケムリ・マリだって事は、忘れないでください。今までも、これからも、ずっと変わりません」
全員の視線が集まるのを感じた。
テーブルを握る手がぶるぶる震えるが、さらに力を入れてなんとかしのぐ。
マツラの言葉に僅かに目を見開いたリモが、ゆっくりと口角をあげて目を細めた。
「それで結構。元より、わたくしは貴女の師になる気なんて、これっぽっちもありませんわ」
冷ややかな声で放たれたその言葉の後、どういう風に会が解散されて、何を話しながら部屋を後にしたのか。
マツラはあまり覚えていない。
* * *
旅立ちは、いつも唐突で慌ただしい。
時間はあまり残されておらず、かと言ってまとめるべき荷物は殆ど無かった。
マツラが今持っているのは、昇位試験に向かう旅に持参した荷物だけ。
ダケ・コシに来たときに肩にかけていた鞄は、中身をほぼ変えずにまたマツラの肩にかかっている。
華の王都に向かうにしては心許ないほどに少ない荷物は、当然ながら荷造りに要した時間もそれ相応だ。
「……ま、そんなもんだよね」
溜息と共に呟いて、忘れ物が無いかもう一度室内を確認して最後に鏡を確認する。
ニチに押しつけられる形で新調された朱色のケープは、形は似ているものの以前あった刺繍が無いぶん物足りなく感じる。
時間を見つけて少しずつ改造していこうと心に決めて、数日を過ごした部屋を後にした。
いつもの面々と合流して、五老の間へ向かう。
いつかと同じ、ただただ広く天井の高い部屋。
今日はその最奥の小さな扉が最初から開けられていた。
移動魔方陣の設置された小部屋の入り口で、マツラたちの姿を目にしたリモは目を見開いて声をあげた。
「あなた方、そんなダッサい格好で王都へ行くつもりなの!? それに荷物はどうしたの! まさか、そんなぼろ鞄一つだとでも!?」
両脇に大きなトランクを控えさせ、飾り気のない漆黒の衣服を纏った王宮の魔術師、リモ・トローラ。
冗談でしょう、という彼女の悲鳴にマツラとオカリは顔を見合わせる。
「元から持って行く荷物なんてないわ」
挑発的に笑うオカリは、大きめのリュックを背負っている。
「これでも一張羅なんですけどね」
新品のケープの裾をつまんだマツラは、じゃあどうすれば良かったのかと肩をすくめる。
リモは恐ろしいものを見る目つきで二人を見て頬に手を当てる。
「ああ! 所詮垢抜けない田舎娘ですわ! あなた方を連れて行くわたくしの身にもなって欲しいものだわ!」
「安心しなさい、アタシが本気で着飾ったら大変な事になるわよ!」
「お黙りなさい! その本気はいつですの!?」
胸を張ったオカリにぴしゃりと言い返して、リモは「仕方ありません」大げさに溜息をつく。
「……とにかく、王宮でわたくしに恥をかかせないと約束してくださる? このままでは先が思いやられますわ」
「努力はします」
「期待しないでおきます」
神妙に頷いてみせたマツラに顔をしかめて、リモはケムリと向き合うと、腕を組んで大柄な魔術師を見上げる。
「貴方の弟子、確かにお預かり致します」
「頼みます」
神妙な顔で小さく頭を下げたケムリに、リモの口角がわずかに上がった。
「あら、言ったでしょう? 貴方は良くやっていますわ。わたくし、あまり他人を褒めませんの。自信を持ってよくてよ?」
相変わらずの口調で放たれた労いの言葉に、ケムリは困ったように笑みを浮かべる。
「そのお言葉、有り難く頂いておきますよ」
「ええ。カル・デイラのケムリ。それで良いわ」
満足げに頷いたリモは、長いスカートの裾を翻して移動魔方陣へ向かう。
その背を追うべきかと考えて、マツラはケムリを見た。
「師匠。行って帰ってきます。すぐに、です。早く全部終わらせて、みんなでカル・デイラに帰りましょう」
そうだな、と頷いたケムリの隣でユウヒが目を細める。
「マツラちゃん、あなた変わったわ。うち出発した時とは、別人みたい」
ほんの少し歯切れの悪いユウヒが、何かを続けようとして飲み込んだように見えて、マツラは左右に首を振った。
「そんな事ないですよ」
何も変わってなんかいない。
変わったのは、マツラの周囲だ。
マツラ自身は、辺境の村で刺繍をしていた時と何も変わっていない。
与えられた仕事をこなして日々を生きるだけ。
でも、新しく得た目的もひとつ。
そのためにやり遂げるのだと、強く気持ちを持てる。
叶えたい目的のために、ほんの少しの自信だとしても大切に携えて突き進むしかない。
マツラの手を握ったツツジが、恐ろしく真剣な目でマツラの顔を見る。
「気をつけて。マツラさんがいない間、僕も修行しておきますから。負けないくらい、たくさん。マツラさんの兄弟子として、恥ずかしくないように」
「そんな事しなくたって、ツツジは一生私の兄弟子でしょ?」
思わず笑うと、ツツジは「それはそうなんですけど」とつられて笑う。
やっと揃った修行の地の、ケムリの家の住人たちをもう一度見回して、マツラは大きく息を吸う。
「行ってきます」
振り向けば、先でオカリが手を差し出している。その手を取って、マツラは一歩踏み出した。
移動魔方陣の前で待っていたリモが、中央まで足を進めて二人を見る。
「さあ、行きますわよ」
マツラとオカリが陣の中に入ったのを確認して、リモは持っていた傘を広げると高く掲げた。
空の青よりもさらに濃い青い傘はくるくると回り呼応するように足下で魔方陣が淡く光る。
繋いでいたオカリの手に力が込められ、はっとして目だけで隣を見たが、掲げられたリモの傘を見上げる赤い瞳はいつもと変わらない。
「どうかしたの?」と言いかけた唇を閉じて、マツラはオカリの手をぎゅっと握り返した。
床の光は強さを増して、見えないロープが身体を上に引っ張ろうとする。
内蔵が抜かれるような負荷から解放されたら、そこはもう華の王都ツキサなのだ。