魔術師とお姫様
ツツジたち三人は揃ってひどく疲れた顔をしていた。
彼らがどういう経路でここまでやって来たのか、マツラには知る由も無かったが任務から戻ってきた二人と共に現れた女の子は、その中でも極めて顔色が悪かった。
マツラとそう年の変わらないように見える彼女は、本当は美しかったであろう金の髪も左右不揃いで、今にも倒れてしまうのではないかと思う程青い顔をしている。赤っぽい色の瞳は本来の輝きを失ってどこかぼんやりと周囲を見ていた。
少しでも早く何らかの手当てをして休ませたほうがいいのでは?
こちらが不安になるほどボロボロの状態の彼女を置いて、遅れてやってきた五老はツツジとラクトに労いの言葉をかける。
やきもきしながらその様子を見守っていると、やっとニチが金髪の少女に視線を向けた。
「さて、三人目はいったい何者なのかと思って来てみれば……」
鋭い視線に、少女の背筋が伸び、その瞳にちらりと光が走った。
土の五老は感心したように彼女の顔を眺め、顎を撫でる。
「二人とも、なんちゅうお嬢さんを連れて来たんじゃ。陽光を集めた金の髪に、春を告げる紅梅の瞳。……なんとまあ、見事に武術王デオ・ヒノコを例えるに相応しい姿じゃな」
シイの言葉につられるように、全員の視線が彼女に向く。
武術王デオ・ヒノコ。
かつて緑眼の魔術師ミウ・ナカサと共に魔王を倒しに向かったと言われる昔話の王の名に、マツラは食い入るように少女を見つめた。
この場の視線を一心に集める少女は、ぴんと背筋を伸ばし、胸を張るとさっきまでの疲れ果てた眼が嘘のように強い光を湛えた瞳で真っ向から五老を見据えた。
「オカリ・ユフです」
澄んだ声は、今にも倒れそうな顔色からは想像できないほど強く芯が通っていた。
自分は外の何者でもないと言うように、強く発音された名前をマツラは口の中で反芻する。
彼女は一体なぜ、ここに来たのだろう。
まさか、その容姿が意味する事を知らずに来たのだろうか。
ダケ・コシでは魔王と伝説の魔法使いの戦いが再び始まるのだと、誰もが息巻いている。こんなところに彼女が来てしまえば、もう昔話の再演を免れる事などできやしない。
風の五老はオカリの事をラクト達からの報告書で聞いていると告げ、彼女の事を指してお姫様と呼んだ。
「お姫様は言い過ぎだろ、フウ」
が、木の五老モクはそれを笑い、幼い彼の言葉に苦笑を浮かべたフウは「それでも」と視線をオカリに向けた。
「聖女様と呼ぶよりは、お姫様のほうがまだましなんじゃないかな?」
「どっちも同じよ」
皮肉なのか本心なのか掴み難いフウの言葉に、オカリは顔を顰める。
苦々しい声と表情に、彼女がそう呼ばれる事が本心ではないのだと察し、マツラははらはらしながら五老とオカリのやり取りを見守った。
お姫様と言われても何の違和感も感じない彼女の尊大な態度と、相変わらず真っ青なままの顔色。その両方が心配でならなかった。
マツラがやきもきしていると、やっと水の五老が一歩前に進み出て首を傾げた。
「移動魔法陣に酔ったのかしら? 顔色が悪いわね」
オカリは変わらず挑むような表情で唇を引き結び、スイを見返す。
水の五老と異国から来た少女の間に、それとわかるほどぴりりとした空気が流れたのが感じられた。
「オカリさんは、本当ならまだ安静が必要なんです」
見兼ねたのかツツジが、説明しようと口を開いたが、スイはちらりと彼を見ただけで、まっすぐにオカリの正面まで進み出た。
「魔術師相手に自分の病状を告白することは抵抗があるかしら?」
底冷えのするようなスイの声に、マツラは息を殺して向かい合う二人を見守る。
真っ青な顔のオカリは、それゆえの迫力でスイの視線を受け止め、挑発するように相手の目を見返えす。
誰もが息を呑んで、二人を見守る。
しばらくの睨みあいで、先に口を開いたのはスイだった。
「ツツジの言った事が本当なら……」
柔らかく優しい声の下に、隠しようのない冷ややかなものが見え隠れしている。
「あなたは相当な無理をしてここまで来たはずね?」
確認する言葉に、オカリの返事はない。
目の前の女が信用できるのかを値踏みしているようにも見えた。
どうしてオカリは素直に答えないのだろう。
確かに、今のグランディスでは魔術師は悪しきものだと言われているらしい。
それでもツツジたちとダケ・コシに来たくらいだ。周りは魔術師ばかりだと、知らないはずがない。
「……私は水の五老スイ。治療魔法が専門よ。あなたが、治療の必要な病人だというのなら、私はあなたの診察をするわ。その代り」
形だけの微笑みを残し、スイの声から柔らかさが消え去る。
「自分がどういう状態なのかは自分で言いなさい。それが嫌なら、私はあなたに対して一切何もしない。……自分の身体を粗末に扱って意地を張るくらいなら、最初からこの国に来るべきではなかったって事。わかるでしょう?」
スイの言う事はもっともかもしれない。
しかし、今にも倒れそうな人が目の前にいるのなら、こんな問答はさっさと終わらせて相手を介抱するのが先ではないか?
いい加減、もう止めさせないと。
意を決したマツラが口を開こうとしたとき、必要ないと告げるようなタイミングでオカリが左右に首を振った。
「アナタ、こんなに男性も見ている目の前でアタシを診察しようっての?」
せめて別室でやってもらいたい。
続けられたオカリの皮肉るような声色。彼女の口元には笑みすらもある。
オカリはどうしても、反抗するスタイルを崩さないつもりなのだろうか。
スイもそれを察したのか、小さく溜息をついて頷く。
「もちろん、ちゃんと別室があるわ。少し歩いてもらわないといけないけれどね」
オカリを連れて行くと告げたスイは、相変わらず青い顔のオカリを連れて広間を出て行った。
見えない火花を散らしていた二人がいなくなると、一気に場の緊張が消え去る。
ほっと息をついたところで、全員そろって別室に移動することになった。
廊下を出てすぐに入った部屋には大きなテーブルが置いてあり、全員が着席したところでニチがラクトとツツジを見た。
「すまないね、詳細を送ると言っていたが、間に合わなかったよ。門番からは、何か聞いたかい?」
「魔王がダケ・コシに現れ、昇位試験が中止になったと」
頷いたラクトの声には、やはり疲労の色が滲む。
オカリだけではなく、早く彼らも休ませたほうがいいに決まっている?
二人の会話を聞きながらそんな事を考えていたマツラは次のニチの言葉で我に返った。
「マツラだけが、その影響を受けなかった。上位魔術師の誰一人として、対抗できなかったにも関わらず、だよ」
己の身に魔法の源である新緑を持つマツラは、やはりミウ・ナカサと同様に唯一魔王に対抗できる力を持っている。
何度も聞いた、似たような文言に、マツラは手を握りしめ、じっとテーブルの上を見つめた。
五老の声を締め出して、自分の呼吸にだけ意識を集中させようとするが続くフウの声も流れるように耳に入って来る。
「かつてミウ・ナカサが成し得なかった、魔王の討伐を成功させなければならないんだ。魔王討伐隊は、マツラを中心に据える。だから、マツラをカル・デイラに帰す訳にもいかなくてね。ケムリも一緒に、ダケ・コシに留まってもらっていたんだよ」
柔らかな口調で限りなく角を削ぎ落とした彼のせりふに、一瞬震えた身体を押さえつけようと歯を食いしばる。
まるで同意の上のように言われた事が心外で仕方なかった。
帰すわけにはいかず、閉じ込めていた、が正しい言葉だ。
しかし反論する事もできず、ひたすらテーブルの一点に目を据えた。
「マツラ・ワカと共に往く者として、我々は君たちを討伐隊のメンバーに選びたいと思っている」
流れるように空気を震わせた風の五老の声に、マツラは一瞬固まり、勢いよく顔をあげた。
見ればツツジとラクト、そしてケムリも驚いたようにスイを凝視している。
彼らの反応を見れば、誰もが初耳だとわかる。
風の五老の指がケムリを指す。
「カル・デイラの教育者にして魔術師、ケムリ・マリ」
伸ばされた指は、次の獲物を宣言するように、そのまま隣のラクトへと動いた。
「多くの地を知る国境の魔術師、ラクト・コヒ」
一度ラクトで止まった指先は、最後にまっすぐとツツジのほうに向けられた。
「そして、成長途上の魔術師、ツツジ・ナハ」
一旦言葉を切ったフウは手を組むと、ぐるりと三人を見た。
「君たちには、マツラ・ワカと共に魔王討伐隊として動いてもらう。もちろん、我々五老や、ダケ・コシ所属の他の上位魔術師も全力でサポートにあたる。まだここには来ていないが、王宮の魔術師も協力してくれる事になっている」
変わらない穏やかな声は、どこまでも事務的に告げる。
五老が言っている事は滅茶苦茶だ。
彼らの狙いがどこにあるのか、マツラにはさっぱり理解できない。
戸惑い混乱しているのはマツラだけではないようで、ラクトとケムリも難しい顔で五老の話に耳を傾けていた。
ツツジだけが、目に見えて様子が変わった。
瞬きを忘れたように開かれた目が、マツラの見えない何かを見ていた。
ずっと彼の表情に浮かんでいた疲労や、指名された驚きとは違う、何かに怯えた顔でゆるゆると首を振る。
「僕には……」
微かに呟くような声。
ツツジが言おうとした言葉の続きが、マツラには嫌というほどわかった。
きっと誰もが口にするであろうその言葉を、ツツジも選んだのだ。
しかし五老は彼がその続きを口にする事を許さなかった。
「まあ、疲れているだろうから今はこの位で切り上げようかね」
ニチが椅子を立つ。
その動作で遮られたツツジの声は、もう音になる事はなかった。
代わりに、椅子から飛び降りたモクが子供らしい笑顔を向けてくる。
「ツツジとラクトにも部屋を用意してあるよ」
昼まで休むといい。
言い残された言葉は、いつかマツラたちに向けられたものと同じだった。