“可能”の条件

 こわばった表情で自分を見つめてくるマツラに、ニチは口元をつり上げた。
 見開かれた瞳は美しく、平凡なその顔の中で鮮烈な印象を与えてくる。
 多くの魔術師たちが、恋い焦がれた緑の眼。
 それを持つマツラが特異な存在である事は、変える事のできない事実だった。

 弟子入りしてすぐに行われる属性の識別で、マツラはあろう事か精霊に拒否され、しかし、その後五老が送った魔法札を使っての再挑戦では、五つの精霊全てが彼女と契約を交わした。

 本来、複数の属性を持つ事はまずあり得ない。

 なぜ最初に精霊がマツラを拒否したのか、その理由はいまだニチたちにも見当がつかないが、結果として五つの属性を持つ事になったマツラは、周囲の環境により力が不安定になるという魔術師の弱点を完璧に克服している。
 緑眼という特性と併せれば、マツラの力は底が見えない。

「マツラ、お前の属性識別には、私らから送られた魔法札が使われただろう? 結果を報告するのは、ケムリの義務だ」
「それは、わかります。でも……」

 マツラの声は消えるように途切れた。
 俯いて唇を結んだ彼女は膝の上で手を握りしめたが、その表情がどんなに曇ろうとも、きらめきを放つ新緑の双眸から力が失われる事はない。
 その様子に僅かに顔をしかめたニチは、深く息を吐く。

 魔王が現れ、世界に満たされているはずの精霊の力が一切感じられなくなった講堂の中で、ニチにはマツラの周りだけ淡く輝いているように見えた。
 それが彼女自身の身体からあふれる力を可視化したものだったのか、はたまたニチの過大な期待による幻だったのかはわからない。
 しかし、ひとつ言い切れる事がある。

「あんたは、魔王の前でも変わらずに魔法を使う事ができる」

 これは緑眼と属性により成せる事だ。
 どんなに腕の立つ魔術師を選んで集めたところで、魔法がかき消されては何の意味もない。
 魔王を前にして、魔法を使える人間が行かない事には魔王は倒せないのだ。
 なぜなら、魔術師を倒せるのは相手より強い力を持つ魔術師だけなのだから。

「化け物と言われ傷ついたというのなら、謝ろう」

 はっとしたように顔をあげたマツラが、まっすぐにニチを見る。
 その新緑を見据えて、ニチは「でもね」と空気を吸い込んだ。

「我々“五人の老魔術師”は、カル・デイラの初級魔術師マツラ・ワカに魔王討伐隊としての仕事を依頼する」

 宣言するように放たれた言葉に、マツラの瞳がめいいっぱい見開かれた。
 彼女の隣で暗い顔のまま、だんまりを決め込んでいたケムリも表情を変える。
 火の五老は二人の反応など気にも留めない様子で、言葉を続けた。

「我々魔術師は、依頼された仕事を断る権利を持っている。これは依頼主が何者であろうと変わらない権利だ。上位魔術師でも、下位魔術師でも。それこそ初級魔術師だって、依頼としての仕事が存在するのなら、合意の上で執行されなきゃいけない。それが契約ってもんだからね」

 魔術師への依頼。
 今まで何度も口にしてきたその規定を述べたニチは、言葉を切ると目を伏せた。
 テーブルの上に両手をついてゆっくりと立ち上がり、顎を引いてマツラを見る。
 マツラとケムリの視線がニチに集まる中、五老の視線は全てマツラを見ていた。
 火の五老の鋭い目に、更に力が入る。

「だが、これは依頼じゃない。我々五老からの、命令だ。マツラ、お前に断る権利は与えられない。もちろん、師であるケムリにもこれを阻止する権利は無い」

 厳かに言い放たれた文言に呆然とするマツラとケムリに、火の五老は静かに続ける。

「お前たちの部屋は用意しておいたから、ゆっくり休むといい。案内はアサヒにさせよう」

 ゆっくりと背を向けたニチの、もう用は無いと言わんばかりの動作にも、マツラは動く事ができなかった。

 何を言われたのか、どういう事なのか。
 理解できずに、ただただ頭の中でニチの言葉が繰り返される。

 ただ試験を受けに来ただけのはずだった。
 受験を終えて、結果を受け取ればまたカル・デイラに戻って修業の日々が始まるはずだったのだ。
 それなのに、どうしてこんな事になってしまったのだろう。
 通された部屋でソファーに座ったまま、マツラはぼんやりと淡いクリーム色の壁を見つめた。

「むちゃくちゃだわ」

 呟いた言葉に、返って来る返事は無い。
 ケムリとは別室に通され、部屋にはマツラ一人だった。
 静かな部屋に一人でいると、不安だけがひたすらに大きくなってゆく。
 座っていても落ち着かず、マツラは重厚なカーテンのかけられた大きな窓に近寄る。

 窓の外では、傾いた太陽が冬の常緑樹にやんわりと光を落としていた。
 暖められた室内の空気が、胸に重い。
 外の空気が吸いたい。冷えた空気を肺いっぱいに吸い込めば、少しは気分も晴れるかもしれないと手を伸ばす。
 そうして窓枠に手を触れたとき、マツラの指先火花が散り、鋭い痛みが走った。

「いっ……!」

 反射的に手を引き、驚きに窓を見つめる。

「な、なんなの……?」

 何が起こったのかと、窓枠に目を凝らすが何の異変も感じられない。
 それでも、確かに指先に残る痛みにマツラは弾かれたように部屋の扉に駆け寄った。
 勢いのままに扉に手を触れると、触れた手のひら全体を刺すような痛みに襲われ、悲鳴を上げて扉から離れる。

「うそでしょ!?」

 ぺたりと床に座り込み、掠れた声で呟く。
 上等な家具で揃えられた客間が、マツラを逃がさないための部屋なのだと気付いてしまった。

「どうして……」

 そこまでして、たかだか初級魔術師にしか過ぎない自分を逃がしたくないのか。
 もっと有能な人材なら他にも大勢いるはずだ。
 経験も知識も乏しく、術の安定感も決定的に欠ける自分にこだわる必要など無いはずなのに。

 どうして、こんな事になってしまったのだろう。

 一変して牢屋のように見えてきた部屋を見回すと、自分がいた。
 壁際の姿見の中に、憔悴しきった顔の自分がいる。いつもと同じ緑の瞳と、目が合う。

 ―――緑眼だから。

 答えは至極シンプルだったのだ。
 ケムリに弟子入りしたときから急に意味を持ち出したこの緑の眼は、マツラの修業計画を見事に狂わせていく。
 まるで、同じ瞳を持っていたという古代の魔法使いの呪いのように。
 どんなに強い力を持っていても、それを使いこなせなければ意味など無いというのに。

「たまたまだったのに……さっきだって」

 不発するかもしれなかったし、暴発の可能性もあった。
 マツラは魔法のコントロールという点において致命的なまでに不得手だ。
 暴発と不発は日常茶飯事と言っても過言でもない。
 講堂で魔法を使ったのは、ニチの「やれ」という言葉に背中を押されたからだ。
 そうでなければ、あんなに大勢の人が集まる場で魔法を使おうとは思わなかった。周りにいたのは、森の木々ではない。人間だ。
 万が一暴発してしまったら、取り返しがつかない。

 しかし、珍しく成功してしまった。
 マツラが魔術師として出来ることはとても少なく、他の初級と比べても力の扱い方は未熟だ。
 それを知っているのは、師匠のケムリと兄弟子のツツジ、そしてツツジと共に長期任務にあたっているラクトという魔術師だけだ。
 五老にもそれを知ってもらわないといけない。
 そのためにはケムリの説明が必要になる。

「師匠と話をしなくちゃ」

 立ち上がり、マツラはじっと扉を見つめる。
 この部屋から出ない限り、状況を突破する事ができにのは明らかだ。
 マツラを出さないための魔法がかけられているのなら、それを破らなければならない。
 今の自分に必要なのは、必死にドアを叩いて助けを求める事ではなく、この部屋か、もしくはドアや窓にかけられている魔法を打ち破る事だ。

 失敗した時に何が起こるかわからないが、部屋全部を吹き飛ばすつもりで、いちかばちか魔法を使ってみるか?
 でも、それでは関係の無い人にも危害を加えてしまうかもしれない。
 いくら何でもそんな事はしたくない。
 何か良い手は無いものか。

 考えながら、部屋の中の物をひとつひとつ見ては慎重に指先で触れてみる。
 マツラが触る事のできない物は、部屋の外に通じているドアや窓だけだった。

「カーテンは問題ないけど、窓はだめなのか」

 腕を組んで、せわしなく室内を歩き回る。
 例えいい案が出なくても座っているより、こうして考えながら動いているほうが少しは気分がましだった。

「試験会場で荷物なくしちゃったからなぁ……」

 自分の魔法でどこかへ飛ばされた自分の鞄。中には針と糸も入っていた。宿に置いてきた荷物の中にも。
 それさえあれば、少し時間はかかるがこの状況をどうにかできたかもしれない。

 改めて魔法のコントロールの重要さを実感して溜息をついたところで、扉がノックされた。
 足を止め、ドアから距離をとる。
 一体誰が来たのかと息を詰めて見ていると、マツラの返事を待たずに扉が開いた。

「お前、さっき逃げようとしたろ」

 扉の隙間から顔をのぞかせ、開口一番そう言ったのは五老の少年だった。