朝食は穏やかに

 ツツジの隣の席で、オカリがもの凄い勢いで食事を口に運んでゆく。
 ついさっきまで、うるさいくらいに喋っていたのが嘘のように、黙々と朝食を摂るその姿に、ツツジは思わず苦笑した。
 彼の向かいに座るマツラも呆気に取られたようにオカリを見る。

「そんなに一気に食べて、大丈夫?」

 伺うように尋ねたマツラに、パンを飲み込みながらオカリは頷く。

「大丈夫。食べて体力つけないと」

 昨夜はまともな食事にありつけなかった、と続けたオカリに、ツツジは「当然です」と答えながらパンにはちみつを塗る。

「病み上がりの状態でどれだけがっつくつもりなんですか。一日寝込んでいたんですから、まずはお腹に優しいものからにしないと」
「ラクトはダケ・コシに着いたら美味しいもの食べさせてくれるって言ったじゃない。忘れたなんて言わせないわ」

 頬を膨らませたオカリは、今日会ったら絶対に何か奢らせてやると告げて温野菜のサラダを手に取る。

「食べなきゃだめよ。力出ないもの。力が出なきゃ、何の訓練も身が入らないし」
「オカリさん、何日かはゆっくりしてなきゃダメですって」
「ばか言わないでよ。じゅうぶんゆっくりしたわ。ずっとまともに動けなかったから、身体がなまりきってるのよ。このままじゃカンまで鈍っちゃう」

 止めようとしたツツジの言葉は、ぴしゃりとはねのけられ、二人の話を聞いていたマツラは僅かに首を傾げる。

「訓練?」

 不思議そうに瞬きをする彼女に、オカリは頷く。

「ええ。ありがたい事に、あたしも魔王討伐とやらに誘ってもらったの。そんな大仕事に挑むのに、日々の鍛錬を怠るようなまねは出来ないわ」

 マグカップに伸ばしかけた手を止めて、オカリはマツラを見る。
 親しげに目を細めた彼女は、芯の強さを感じさせる優しい声で続けた。

「昨日はみっともないとこ見せたけど、アタシ、これでも結構腕が立つのよ? だから、よろしくね」
「みっともないだなんて、そんな!」

 慌てて手を振るマツラに、オカリの表情が柔らかくなる。
 ツツジは横目でその様子を見ながら、二人の出会いはやはり間違いではなかったと思う。

 オカリは強く攻めるところが目立ち、マツラは逆に少し慎重な性格だ。
 だが、オカリは物事を考え冷静に周囲を見る事もできるし、マツラにはそれまでの生活を捨てて魔術師の世界に飛び込んでくるだけの思い切りもある。
 全く性格は違うけれど、意外と似ている所もある。
 今後どうなるかはわからないが、隣で見る二人の様子は悪くない。

 そう思うと嬉しくなって、ツツジの口元も緩む。
 オカリはその隙を見逃さなかった。

「なにニヤニヤしてんの」
「してませんよ。オカリさんの気のせいですよ」
「してたわよ。ねえ、マツラ。あなたも見たでしょ?」
「にやにや、っていうか……なんかいい事でもあったの?」

 そう訊かれて「二人が仲良くなれそうな事が嬉しくて」と答えるのはとてつもなく恥ずかしい。
 誤魔化すようにパンを口に押し込んだところで、ツツジは後ろから名前を呼ばれた。
 口の中いっぱいにパンを詰め込んだまま振り返れば、昨夜オカリの部屋で会った魔術師がいた。
 ツツジの顔を見た彼は笑いを噛み殺した表情で三人を見回し、改めてツツジのほうを向く。

「食事が終わったらスイ様の部屋へ行ってください」

 ひどく間抜けな状況で伝言を受けた事が恥ずかしく、加えて飲み込んだパンが喉で止まって窒息しそうで、ツツジは何度か勢いよく頷く。
 その様子に使いの魔術師は無言で一度頷くと、「それでは」と背を向けた。
 喉に詰まったパンを飲み下そうと必死に胸を叩いていたツツジは、去ってゆく彼の肩が小刻みに震えていた事には気づかなかった。

「変な食べ方するから詰まらせるのよ」
「ツツジ、大丈夫?」

 オカリとマツラにそれぞれ言われ、酸素を取り戻したツツジはほっと胸を撫でおろしながら水を飲む。
 パンを詰まらせるなんて、小さな子供でもあるまいし、いくらなんでも間抜けすぎる。
 まだ少し違和感の残る喉を流れていく水が気持ちいい。
 彼の様子を見守っていたマツラだが、さっきの魔術師が出て行った扉のほうを気にしながら、少し心配するように口を開いた。

「直接スイ様に呼ばれてるって、何だろうね」

 マツラからすればツツジがスイに呼ばれる事は不思議でならないようだが、ツツジにはその心当たりが大いにある。
 まだ、その事をマツラに告げていなかった事を思い出し、ツツジは食事をする手を取め、マツラを見た。

「あの、マツラさん」

 妙に改まった声に、マツラはきょとんとツツジを見る。
 自分を見る新緑の瞳に胸が大きく脈打つのを感じながら、ツツジはゆっくりと息を吸った。

「僕、マツラさんたちと一緒に行くって決めたんです。だから、スイ様から治療術の指南を受けようと思います」

 魔王討伐隊の一員として同行するのなら、今のままではだめだ。
 マツラたちの力になるための力が必要だ。
 ケムリやラクトが出来ない事で、自分に出来ること。出来るかもしれない事。
 水の属性を持つツツジにとって、それは治療術に他ならない。

 ツツジの言葉を聞いて、驚きに目を見開いたマツラはさっきよりもなお心配そうにツツジの顔をのぞき込んだ。

「無理、してないよね?」

 気遣う声や表情は、マツラがツツジよりも年上だったのだという事を思い出させる。
 しかし心配は無用だ。
 もう決めた事だと力強く頷いたツツジに、息を吐きながらマツラは頷く。

「師匠には、この事は……」
「まだです。スイ様の所へ行く前に報告に行こうかと思っていました」
「そうだね。この時間なら、師匠は中庭で日課の筋トレと素振りをしてるはずだよ」

 ちらりと時計を見て微笑んだマツラの表情が、どこか寂しそうに見えた事だけがなんとなくツツジの胸に引っかかった。

「あなた達の師匠って、何なの? 武道家?」

 思い出したように疑問を口にしたのはオカリ。
 魔術師というには恵まれすぎた体格のケムリは、猟師と言われたほうが納得できる。
 師の姿を思い出し、ツツジとマツラは顔を見合わせて苦笑を浮かべる。
 オカリの疑問は、かつてツツジも抱き、そしておそらくマツラも思った事だった。

「僕らの師匠は立派な魔術師ですよ」
「私も最初に会った時は木こりの人かと思ったけど……師匠は間違いなく魔術師だよ」

 二人の言葉に、オカリはいまいち釈然としない様子で首を捻った。

 オカリの事はマツラに頼み、先に朝食の席を立ったツツジは中庭に向かう。
 すぐに着くだろうと思っていたが、まだ五老の城の中を把握しきれていないため、思ったよりも時間がかかってしまった。
 朝日の差す中庭では、マツラが言ったとおり、ケムリが竹刀を手に素振りをしている所だった。
 師のトレーニングを中断させてしまう事に少し罪悪感を感じながら、ツツジは思い切って息を吸った。

「師匠! おはようございます!」

 呼びかけと同時に、ケムリの黒い目がこちらを見る。
 ツツジの姿を確認したケムリは汗を拭きながら快活な笑みでこちらへ向かってきた。

「おはよう、ツツジ。もう身体のほうはいいのかい?」
「はい。一日休ませてもらったので、もうすっかり元に戻りました。……あの、師匠、魔王討伐の事なんですが」

 頷いた勢いのまま、その流れで本題を切り出す。

「どうするか、決めたのかい?」

 先を促すケムリの声に、ツツジは意を決して答えを口にする。

「僕、ついて行きたいです。マツラさんとオカリさんの力になれるなら、一緒に行きたいと……そう思うんです」
「そうか、そうか」

 数度頷いたケムリは、腕を組むと少し考えるようにしてから、思い出したように目を開けた。

「君は、あのグランディスの女の子の事が好きなのかい?」

 予期せぬ言葉に、動きが止まったのはツツジの方だ。
 意味が一瞬わからず、反応が遅れた。

「す、すっ……!?」

 早口になりそうなのを抑えるため、ごくりと唾を飲み込んでから声を出すが、その効果は薄かった。

「すき、って、……そんなんじゃ! ちが、違いますよ! 憧れ! 憧れです! オカリさんは強くて優しい……いや、欠点もあるけど。でも、優しい人なんです! 僕よりずっと強くて男らしくて。グランディスにいる間、僕を守ってくれたのはオカリさんと、マツラさんから貰った刺繍でした。でも師匠、僕だって守られるだけっていうのは、いやなんです」
「そうだねぇ。自分より強い人は確かにかっこいいし、尊敬できる。性別なんて関係なくね。君の気持ちは、僕にも心当たりがあるなァ」

 懐かしそうに目を細めたケムリに、ツツジが言わなければいけない事はもうひとつ。
 師匠であるケムリに対してとても失礼で、彼をないがしろにする事にも繋がりかねない事。
 けれど、そうしない事にはツツジが先へ進む事は出来ない。

 手を握りしめ、数宇秒の間。
 意を決して、ツツジは師を見上げた。

「だから師匠。僕、スイ様から治療術を学ぼうと……」
「うん。いいと思うよ」

 ケムリは、ツツジに全部を言わせなかった。

「火の属性の僕じゃあ、治療術を教えるのは少し手間取ってしまうだろうしね。水の五老直々に師事してもらったとなれば、君の自信にも繋がるんじゃないかな?」

 こればっかりは仕方のない事だと言ったケムリは、いつもと変わらない笑顔で続ける。

「僕に遠慮しないで、スイ様からしっかり学んできなさい」

 力強く叩かれた背中。

 「はい! がんばってきます!」

 力を込めて返事をしたツツジ。
 しかし、腕を組んだケムリの反応はいつもの熱血なものではなかった。

「ただ、あの方の治療術は身体を張って会得したものだからねぇ……あんまり頑張りすぎないようにした方がいいかもしれないよ。とにかく、善は急げだ。スイ様の所に行きなさい」

 背中を押され水の五老のもとへ向かったツツジ。
 彼を見送りながら、ぽつりとケムリが呟いた「少し寂しいねぇ」という独り言は、弟子の耳には届かなかった。