そして僕らは手を組んだ
伺うようにオカリを見つめ、ツツジは慎重に尋ねた。
「ニチ様と、何を話したんですか……?」
最後に見たオカリが、いくら憔悴しきった状態だったとはいえ、今の彼女はあまりにもさっぱりした顔をしすぎているように見える。
それ以前の彼女と比べても、疲れが取れたからという理由にしては、拭えない違和感があった。
しかしオカリはくすりと微笑むと僅かに首を傾げただけ。
「ひみつよ。世の中には女同士の会話ってもんがあるって、教わらなかった?」
いたずらを仕掛けるような声に言葉を無くしたツツジに、彼女は畳みかけるように続ける。
「いずれ教えてあげてもいいけど、今はだめ」
その表情が、思いの外――否、これまで見てきた、オカリのどんな表情よりも柔らかく、ツツジはなぜか、とても泣きたい気持ちになった。
火の五老と彼女の間にどんなやりとりがあったのかは知らない。
しかし、見てわかるほどの変化をオカリに与える何かがあった事には間違いない。
相変わらず無茶とも思える事に飛び込んでいくオカリに不安はあるが、それでも表情の軽くなった彼女を目の前にして、ツツジはニチに感謝した。
オカリは、ニチに助けれられたのかもしれない、と。
だから、「あんたはどうするの」と何の前振りもなく言われた瞬間、ツツジは、はたと固まった。
「おばあちゃんは、ツツジも一緒だって言ったわよ。ツツジと、ラクトと、ツツジの師匠と、緑の目の魔術師。その四人と、あたしだって」
「僕は……」
紅梅の瞳がまっすぐにツツジを捉える。
即答で返事ができないのは、まだ迷いがあり、そして自信が持てないからだ。
ツツジには、オカリのような思い切りや自信が無い。
マツラのような、人とは違う力も無い。
ケムリやラクトのような豊富な経験すら、無い。
五老から魔王討伐隊に命じられた五人の中で唯一、何も持っていない。
それでも五老はツツジが必要だと言ってくれた。
「オカリさんは、僕には無理だと思わないんですか……?」
暗い声で言えば、オカリはきょとんとした顔でツツジを見る。
「え? 大丈夫でしょ」
あっけらかんとした答えは、何も考えていないのではないかと思う程すぐに返ってきた。
その一瞬に、彼女がどの位の事を考えたのかはツツジには知る由もない。
驚くほどの速さで多くを考えたのかもしれないし、全くの直感かもしれない。
しかし彼女の「大丈夫」は、どこから来るのか謎のオカリの自信を分けてもらえたように、本当に大丈夫な気分にさせる。
「僕は、スイ様にマツラさんの支えになれと言われました。……そのために治療術を身につけろと」
スイははっきりとは言わなかったが、ツツジに出された課題は、おそらく彼女と同じ植物から行う治療術だ。
生け贄とも呼べる動物を使わないその術は、難易度に比例して使える状況が格段に広くなる。
「やれるのかと言われれば、甚だ疑問ですが……でも僕は、出来る事なら、マツラさんの役に立ちたいです」
初めて会ったときから、マツラはツツジの憧れだった。
伝説の魔術師と同じ色彩を持つ妹弟子。
兄弟子として、またひとりの魔術師として。彼女の隣に立つ自分に恥じたくない。
「僕は、オカリさんのように強くないけど、オカリさんが僕を助けて、守ってくれたように……ほんの少しでもいいから、魔王と戦うマツラさんの、助けになりたい」
「あんたそれ、どこからが本気?」
間髪入れずにはいった声。
いっぱいに目を見開いたオカリの反応は、ツツジには予想外だった。
信じられない、と続いた微かな呟きと、ツツジにぴたりと固定された紅梅の瞳に、とんでもなく恥ずかしい発言をしてしまったのでは、という実感がじわじわと襲ってきて、顔が熱くなる。
「ぜ、全部本気ですよ! だって僕はオカリさんのように強くもないし、魔法だってまだまだ半人前です! でも、マツラさんだけじゃなくて、オカリさんまでこんな先のわからない事に挑むって言うんだから、僕だけ隠れてる訳にはいかないでしょう!? しっ、心配なんですよ!」
言いながら、ますます恥ずかしい発言をしたような気がして早口になり、最終的に目を逸らしたツツジに、オカリは呆れたように額に手を当てた。
「ツツジ、あんたってほんと、ばかねぇ」
首を振るオカリは呻くように呟き、大きなため息を立て続けに数回吐く。
彼女の言葉にならない声は、ツツジには理解できなかった。
落ち着かない様子でオカリを見るその姿から、ツツジに自分の言いたい事が伝わっていないと、オカリにもはっきりとわかった。
あんたは、何をもって自分を弱いと評価しているの?
本当に弱い人間なら、自分をここまで連れてきてはくれなかっただろう。
そもそも、とっくにオカリのもとから逃げ出していたに違いない。
確かにツツジは少し頼りない所もあるが、それは決して弱さではないのだ。
人によっては、彼は弱いと評されるかもしれない。
しかしオカリにとって、ツツジはただ弱く頼りないだけの相手ではない。
苦笑したオカリは「もっと自信を持ちなさい」と呟いて、乱暴にツツジの髪をかき混ぜた。
そして思うのは、もう一人、昔話の魔術師になぞらえられた少女、マツラ。
「あたし、あの子と仲良くなれるかしら?」
ツツジはオカリの手から逃れ、乱れた髪を直しながら彼女の問いに答える。
誰の事を言っているのかは、言われるまでもなかった。
僅かに思案するようなオカリの表情に、心配する事はないと答える。
「オカリさんがあんまり無茶ぶりしなければ大丈夫なんじゃないですか」
「知った風な口利いてるんじゃないわよ」
軽くツツジを睨んだ紅梅の瞳は、すぐにその眼の力を弱める。
「本物の眼に、あたしはどう映るかしら?」
少し逡巡するそぶりを見せた後、声を落としたオカリの言葉はひどく重量を感じさせた。
彼女の不安は、ただの杞憂にすぎない。
知ったかぶりでも過大評価でもなんでもなく、マツラ・ワカを知るツツジには断言できた。
マツラは決してオカリを偽物などとは言わないだろう。
周りに何と言われても、マツラ自身が自分を本物だと言えずにいる。
そんな彼女が、オカリを偽物呼ばわりするはずがない。
「オカリさんらしくない言葉ですね。でも……そうですねぇ……僕は、案外悪くない組み合わせだと思いますよ」
オカリとマツラは見た目も性格も正反対のように見えるが、手を組んだならば、それは面白い事になるかもしれない。
ツツジの言葉に、「そうかしら」と顔をあげたオカリにツツジはゆっくりと頷いた。
「ええ。明日、明るくなったらマツラさんに会いに行きましょう」
今日はもう遅い。
そう言ったツツジに、オカリは「今はひとまず」と言ってベッドから降りてツツジの正面に立った。
見上げたオカリの表情は凛々しく、いつかの裏路地での出来事を彷彿とさせた。
「今後とも、よろしく」
ごく自然に差し出された右手と、弧を描く唇。
釣られるように立ち上がったツツジは、目の前の手を握り返した。
力の込められたオカリの手に、負けじと自分も力をこめる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
以前は同じ高さにあったはずの紅梅色の瞳が、ツツジから少し見下ろす高さで初めて会った時のように眩しく微笑んだ。
あの頃は追いつけない程遠くにいるように見えたオカリは、かの国で敵だと言われているフィラシエルで魔術師に向かって微笑んでいる。
ほかでもない、ツツジの目の前で、ツツジに向かって。
かつて、ひどく頼もしく見えた笑みは、ほんの少しだけ穏やかになっていた。
オカリが変わったのか、ツツジ自身が変わったのか。まだその理由はわからない。
けれど、同じだけの力を込めて握手を交わすことができると、それだけの成長ができたと思っていいのならば、それは全てオカリのおかげだ。
だから、目の前に立つ彼女に言わなければいけない。
「オカリさん、ありがとうございます」
――僕を選んでくれて。そして僕と一緒に、ここへ来てくれて。
口に出す事が憚られ、胸に留めた言葉。
そんなものは知る由もないオカリは僅かに目を細め、呟いた。
「ばかね。それはこっちのセリフよ」
聞きなれたオカリの言葉は、いくらか優しい響きでツツジの耳をくすぐった。