ニセモノの決意

「マツラが魔術師として歩み始めたタイミングで魔王が復活した。そして武術王を思わせる少女が、グランディスからやって来た」

 かつて、ミウ・ナカサは武術王デオ・ヒノコを従え魔王ケイ・オレンに立ち向かった。
 三つのキーワードは揃っている。今回、魔術師側の目標はマツラをミウの二の舞にさせない事。

「私たちは、あなた達を捨て駒にするつもりは無いわ。だからね、ツツジ」

 一度言葉を切って、スイはツツジの目を覗き込んだ。真剣な表情に思わず息が止まる。

「そのためにも、学びなさい。まだ下位だと嘆く暇があるのなら、出来ることをひとつでも増やして。あの子の力になれるように」

 殊更ゆっくりそう言って、空になったカップとポットを盆の上に戻したスイは流れるような動作で立ち上がる。
 おいとまするわ、と言って盆を持ち上げた彼女を、ツツジは呼び止めた。

「……五老は、本当に僕にそれができると思ってらっしゃるんですか?」

 問いかけに、スイは動きを止めるとツツジを見下ろす。

「あなたは、マツラの支えになれる。いいえ、ならなくてはいけない」

 そして、少し考えるような間をあけて、スイは続けた。

「私たちも、そしてあなたも忘れてしまいそうになる事がひとつある。それは、マツラ・ワカが魔術師になると決意してから、まだ一年もたっていないという事。私たちはマツラに命令を下す立場だから、気にかけこそすれ、あまり考えすぎてはいけない。指示が揺らいでしまうから。でも、あなたは違うわ」

 経験の浅い彼女が、どれだけ不安を感じているのか、考えてごらんなさい。
 少しだけ表情を陰らせたスイの声は、静かにツツジの耳に刺さった。

「前向きに考えてほしいわ。ツツジ、私たち五老はね、あなたが必要だと判断したの」

 説得するような声に、小さく頷いたツツジを一瞥してスイはドアに向かう。
 部屋を出る直前、思い出したように彼女はツツジを振り返ると「それと」と顔をしかめた。

「オカリ・ユフが部屋でごねているわ。あなたに会わせろと。手に負えないから早く行って宥めてちょうだい」

 その可能性を予想していたツツジは頭を抱えたくなった。

「わ、わかりました……」

 かろうじてそう返事をしたツツジは、スイから聞いたオカリの部屋へと急いだ。

 彼女の声は廊下まで響いていた。
 確かめるまでもなく、異様な騒々しさを放つその部屋にオカリがいるのだとわかる。
 ごくりと唾を飲み込んで、深呼吸をひとつ。
 何が飛んできても避けてみせる、という覚悟を決めてツツジはドアをノックした。

「誰よ」

 すかさず帰ってきた不機嫌な声に、顔を強ばらせて返事をする。

「ツツジ・ナハです。オカリさん、開けますよ?」

 言ってドアを引いた瞬間、思った通り顔面めがけてクッションが飛んできた。
 すかさずしゃがんでそれをかわすと、今度は「避けるな!」とオカリの声が飛んでくる。
 物をぶつけられると分かっていて、避けないなんてあり得ない。

 廊下まで飛んでいったクッションを拾って部屋に入れば、緑のマントを羽織った魔術師が明らかに安堵した表情でツツジを見ていた。
 どうやらスイの配下の人間らしいが、その様子を見るに、スイ曰く「ごねている」オカリに苦戦を強いられていたに違いない。
 年はツツジやオカリよりも年上のようだが、だからと言ってオカリは遠慮などしなかっただろう。
 証拠に、ツツジが来た事でオカリはよそ行きの笑顔で手を振る。

「ツツジが来たんだからもういいんじゃない?」

 看病をしてくれたであろう相手に、なんて言い方だと目を見開くツツジに、彼は困り果てたように言う。

「まだ、過度の運動は駄目ですからね! なるだけ落ち着かせてください! あと、絶対にこの部屋からは出ないように、言い聞かせてくださいっ!」

 自分に手には負えないから、お願いします。
 そう告げて一礼した青年を見送って、ツツジは小さく溜息をついた。
「オカリさん、また何か我儘言いましたね? 見ず知らずの相手なんですから、少しは遠慮しないとだめですよ」
「我儘なんて言ってない。あたしはただ、ツツジに会わせろって言っただけよ」

 ただ、の範囲が非常に怪しい。
 渋い顔をするツツジに、オカリは頬を膨らませる。

「見ず知らずの土地に来て、たったひとりこんな部屋に押し込まれて、普通の女の子なら不安で泣いてるところでしょ? なのに、どうして目が覚めた時に居てくれなかったのよ」

 非難する口調と少しだけ責めるような目。
 しかしオカリの言葉は少しだけ、意外だった。

「……すみません、オカリさんの事だから、下手に心配すると逆に怒られるかと」
「はぁ!? あんたね、ツツジ、あたしを何だと思ってんの!?」

 思わず本音を言えば、オカリは右腕を振りあげようとしたが、ベッドの上からの拳はツツジまでは届かない。
 適当に相槌を打ちながら、ツツジは手近の椅子をベッドの脇まで運ぶと腰をおろした。

「その様子だと、調子はいいようですね」

 尋ねれば、オカリはおとなしく頷いて二、三度手を握っては開く。

「たいしたもんね。もうすっかり何ともない。魔獣にやられた傷も、痕ひとつ残ってないわ」
「それは良かったです。スイ様は治療術に関してはこの国の魔術師の中でも随一の技術の持ち主ですから」
「これなら、どんなに怪我したって怖いもの無しね。羨ましいもんだわ」

 自力での治癒に頼るしかないグランディスの人間とは大きな差だ、苦笑するオカリに、ツツジはとんでもないと僅かに声を荒げた。

「治療術を使わないに越した事はないんですよ!? 治療術は、傷や病を癒すために他の生き物の生命力を転写します。他の何らかの犠牲の上に元気になっている事を、忘れないでください」

 治療術を行う魔術師は、そのための動物を飼っている。

「スイ様が特別なのは、植物を使って治療術を行える魔術師だからなんです。それは、誰もができる事じゃないから」

 ツツジの言葉に、軽く目を見開いたオカリは「そう」と言って俯いた。

 しばらくの無言。
 ややあってオカリは顔をあげると静かにツツジを見た。

「さっき、黒服のおばあちゃんが来たわ」

 黒服の老婆。
 きょとんと瞬きをしたツツジに、オカリはそのまま続ける。

「魔王を倒せって、言われた」

 それは、おそらくマツラも五老から言われた言葉。
 目を見開いたツツジは何か言おうと口を開きかけるも、言葉が出ない。

 魔王討伐隊はマツラを中心にケムリとラクト、そしてツツジの三人が配されていたはずだ。
 オカリまでそこに入るとは聞いていない。
 鳥肌が立った体を落ち着かせるように、一度空気を吸いなおす。

「なんて答えたんですか」

 声は震えてはいなかっただろうか。
 しかしオカリはツツジの質問には答えない。

「タダでここには置かないって言われたわ。まぁ、もっともな話よね。あたしを受け入れる代わりに、存分に利用してやるから覚悟しとけってさ」

 あの人、変わってるわね。
 口元に笑みを浮かべたオカリは握った拳を左の手のひらに打ちつけた。

「面白い。相手してやるわよ」
「お、面白いって……何言ってるんですか! 遊びじゃないんですよ!?」

 そもそも、その自信は一体どこから生まれてくるのか。
 自分はどうすればいいのかと、同じ案件で頭を抱えていたところだというのに。
 今に始まった事ではないが、彼女は思い切りが良すぎやしないか。

「あら、面白いじゃない。あたし、利用してやるって正面切って言われたの初めてよ。いつだって、誰だって、あたしに隠すように裏でコソコソ仕込んでた。それに比べたら、ずっと面白いわ」

 だから誘いに乗ってやる。

「それに言ったでしょ? もう少し、平和を楽しみたいって」

 十中八苦グランディスの人々は魔王とフィラシエルの魔術師たちは結託していると考えるだろう。
 彼らにとっては魔術師も魔獣も魔王も同じ事なのだ。

「魔王とやらが本格的に活動を始めれば、それこそフィラシエルはいわれのない因縁付けられて戦争ふっかけられる事態に陥りかねない。そんな事言われたら、あたしは引き受けない訳にはいかないのよね」

 少しわざとらしい口調でそう言ったオカリは小さく首を傾げてにこりと笑った。

「だって、武術王デオ・ヒノコは戦乱のグランディスに平和を導いた人だもの。あたしが彼の化身って言うんなら、止めなきゃだめでしょ?」

 強く微笑む紅梅の瞳。
 言葉を無くしたツツジを見つめながら、オカリは自分に言い聞かせるように言った。

「あたしは、この姿かたちである限り、ずっと特別な場所を与えてもらえる。例え嘘でもね。それは、いちばん最初にあたしが選んだ事だった」

 国が変わって、居場所が変わっても、流れる血が純血ではなくても、昔話の英雄の名前は常についてまわる。

「だから、やるわ」

 憑き物が落ちたような表情でそう言ったオカリの声は、揺るがぬ決意をもって空気を震わせた。