落ち着く間も無く叩かれる尻
残された四人は誰ともなくそれぞれ顔を見合わせる。
戸惑ったまま、ツツジはケムリに尋ねた。
「どうして僕が選ばれたんでしょうか。師匠やラクトさんはともかく、僕はまだ一介の下級魔術師にすぎません」
「それを言うんなら私だって、修行を始めて一年もたってないよ」
困ったように言うマツラに、ツツジは首を振る。
そうじゃない。
マツラは新緑の瞳を持っている。
魔法の源を身体に持っている。それは彼女が自分で考える以上に特別な事なのだ。
しかしツツジは違う。
ケムリのもとで修行を始める前は、このダケ・コシで落ちこぼれと言われた。
今でこそ、あの頃机を並べた仲間たちに負けない自信はあるが、それでもただの下級魔術師である事に変わりない。
口にしなかったその思いを察知したのか、マツラは眉を寄せてツツジを見る。
「私はツツジたちが思うほど、すごくなんかないよ? 出来ることだけを比べたら、まだツツジに追いつけてもいない。それなのに、自信もってやれると思う?」
本当はすぐにでもカル・デイラに帰りたいのに。
ぽつりと呟いた彼女の言葉に、ツツジはケムリを見る。
師は困ったように首を振って腕を組んだだけだった。
自信を持ってやれるのか?
おそらくここにいる四人の誰もがイエスと答える事などできない。
伝説の魔術師でもってしても成し得なかった事を任せられた所で「やれる」という自信をもって対応できる魔術師は、きっとどこを探したっていない。
ツツジは無言で目を伏せた。
マツラはいつか自分を追い越して、どの高位魔術師よりも力のある使い手になる。
初めて会ったときから、ツツジにはわかっていた。
ツツジだけではない。きっとケムリもラクトも、誰もが思っている。緑の瞳とは、そういう素質なのだ。
けれど彼女は、まだその段階に入っていない。
新緑の瞳を持ち、全ての属性を従えたミウ・ナカサ以来の人材は、ツツジから見れば自分にはとても太刀打ちできない相手。
マツラがいくら自慢の妹弟子とはいえ、いつか追い越される未来に嫉妬にも近いものを感じさえする。
きっと魔術師なら誰もが羨望の眼差しで彼女を見るだろう。
だからマツラには、早く自分の素質に見合うだけの技術を手に入れて欲しかった。
到底かなわないと見せつけられれば、こんな嫉妬は消えてしまうだろうに。
そして魔王の襲来が、もっと後だったならば。
マツラが一人前になった頃だったならば、あるいは彼女は不安など抱かずにこの任務を受けたかもしれない。
しかし今の彼女は、どうやらツツジたちと同じか、それ以上の不安を抱いている。
そんな彼女にツツジが言えるのは「緑の目を持つマツラなら大丈夫」という、おそらくマツラからすれば何の救いにもならない一言だけだった。
せっかくケムリやマツラと久しぶりの再会を果たせたというのに、その喜びは五老からの新たな指令によって打ち消されてしまった。
かつてないほど重たい空気。
話したい事も山のようにあったはずなのに、話すタイミングを完全に見失っている。それどころか疲れと睡眠不足で頭が朦朧としてきた。
そんな場合じゃないのに、身体はついてはきてくれないようだ。
ここは部屋を用意しているというモクの言葉に甘えたほうがいいような気がする。
何よりも、寝ないとまともな判断もできそうにない。
スイに連れて行かれたオカリの事も気になるが、水の五老に任せておけば悪いようにはならないだろう。
休息が必要なのは、自分も彼女も同じだ。
そこに押し掛けるのは、すでに前科のあるツツジには少々躊躇われた。
それとも、ひとり異国の地へやって来たオカリに対して、やはり自分はもっと彼女の事を気にかけたほうがいいのだろうか?
仮にオカリの事を気にかけ、何かと世話を焼いてみた所で、強がりの過ぎるオカリは、その場合嫌がったりはしないか?
考えれば考えるほど、オカリがどうして欲しいと思っているのかが解らなくなる。
同性のマツラなら、オカリの気持ちもうまいこと察してくれるのかもしれない。
しかし、それを相談するのは何だか悪い事のような気がする。
何より今この状況でそんな暢気な事をマツラに相談するのは間違っているのではないか?
無意識に溜息をつきそうになったとき、静かな音をたてて部屋の扉が開いた。
静かな足音と共に入ってきたのは、水の五老スイ。
彼女はツツジを見ると、にこりと微笑んだ。
「グランディスのお嬢さんはよく眠っているわ」
しかし、すぐに目を吊り上げてツツジとラクトを睨む。
「よくもまあ無理をさせたものね。これを言うと、あの子は怒るでしょうけど言わせてもらうわ。あれは限界だった。部屋を出たら、もう一歩も動けなかったわ。気力だけで保ってたのね。今言っても遅いけど、あなた達二人とも、もっと彼女の体調を気にかけてあげるべきだったわ」
本人は気にしてないようだったけど、と溜息をついたスイは目の力を弱める。
「あなたたちもいい加減休みなさい。信じられないくらいひどい顔」
男って本当わかってない、と呆れたように続いたぼやきに、ツツジはラクトと顔を見合わせた。
「それとね、オカリ・ユフへの面接は今日いっぱい禁止です。明日には元気になれるはずだから、よほど特別な用が無い限りはそれまで待つように」
その言葉のあと、追い立てるように部屋を追い出されたツツジたちはそれぞれ用意された部屋に押し込まれた。
いかにも柔らかそうなベッドに倒れ込むようにして横になったツツジはそのまま闇に吸い込まれるように意識を手放した。
夢も見なかった。
光の中に投げ込まれるように、不意に目が覚める。
喉の乾きだけが異常に気になって、室内を見回して見覚えのない部屋に一瞬疑問を覚えた。
すぐにフィラシエルへ帰還した事を思い出し、ここがどこなのか把握すると、ツツジは窓まで歩み寄りカーテンを開けた。
驚く事に外は暗く、この部屋に押し込まれた時は確かにまだ午前中の時間だったはず、と思い出す。
一体何時間眠っていたのだろうと頭を抱えそうになったところで、軽いノックの音と共に返事を待たずに部屋のドアが開いた。
振り返ったツツジの表情を見て小さく笑ったのはスイ。
「今何時だろうって顔してるわね。日付は越えてないから安心しなさい。気分はどうかしら?」
尋ねられ、ツツジは頷く。
「大丈夫です。寝たら、すっきりしました」
その言葉に偽りはない。
身体は軽く感じるし、頭も冴えわたっている。喉の乾きと空腹さえ満たせば、もう調子は万全だ。
「ならよかった。私からひとつ、お話があります」
そう言ったスイは、ツツジに座るように言うと自分もソファーの上に腰掛ける。
なぜか彼女はティーポットとカップの乗った盆を持ってきていて、テーブルの上で二人分のお茶を入れるとそのひとつをツツジの方へ差し出した。
「どうぞ。……起きるまで待とうと思っていたんだけど、その必要も無かったようね。さて、話は手短に済ませましょう」
ひとくち茶を口に含んで、スイは口を開く。
「ツツジ・ナハ。水属性の下位魔術師」
確認する言葉のあと、彼女は指を組む。
「知っていると思うけれど、水の属性を持つあなたには本来治療魔法の適正があるわ。もちろん、個人差や向き不向きはある。それでも、例えば火属性のケムリよりも、あなたのほうがずっと向いている」
無言で頷いたツツジに、スイは続ける。
「今すぐ、治療魔法を学びなさい」
鋭い言葉は、まっすぐにツツジを見つめたまま。
今回オカリに無理をさせたのは、ツツジとラクトの双方が治療魔法を使えなかった事にも要因がある。
そして、魔王討伐に赴くにあたっても。
スイの一言にツツジの顔がこわばった。
「どうして、僕が……」
こぼれたのは、さっき他の五老の前で口に出来なかった疑問。ツツジの前に座る水の五老は彼から視線を逸らさずに答えた。
「あなたがマツラと共に学んだ唯一の魔術師だからよ」
間髪入れずに返された言葉に、怪訝な顔をしたツツジ。スイはゆっくりとカップに口をつけると、ひといきついて再び口を開く。
「あなたはマツラが魔術師になるためにカル・デイラに来たときから彼女を知っている」
この業界に極端なまでに知り合いがいないマツラの側に置く人間として、優先させたのはどれだけ彼女が心を開き、信頼しているか。
「残念ながら、マツラの親しい魔術師はカル・デイラのあなた達と、ラクト・コヒだけだった。あの子をカル・デイラに送り届けたサッシ・ナタは知り合いというだけで親しいという訳でもないし」
ケムリからの報告で、マツラがまだ初級魔術師としても未熟すぎる段階である事を考慮すれば、他の魔術師達からの風当たりも心配になる。
彼女が持つ緑眼という特性に対して何も出来ない事を知れば、強い妬みや嫉み、僻みを抱く魔術師が出てくる事は間違いない。
「マツラ・ワカという少女の人となりを知らない魔術師たちは、必ず思うはずよ。どうして伝説の魔術師と同じ力を持ちながら、彼女は何も出来ないのか、と。実際、私もそう思ったわ。どうしてこの子はまだ満足に力を使いこなせないんでしょう、ってね。だって魔法具を作るだけの技術と力を持っていながら、通常の魔法がてんでダメだなんて、嘘のような話でしょう?」
それではチームとしてうまく機能しない。どこかで歪みができてしまう。
マツラと親しく、彼女の実力を充分に理解している魔術師。
その条件を満たしているのは、三人しかいなかったのだ。
「力量だけを見れば、あなた達より優れた魔術師はたくさんいる。でも、私たちはマツラ・ワカの伸びしろを信じる事にして、彼女の精神的な負担を少しでも減らすほうを選んだの」
最終的に魔王と対峙するのは、緑眼を持つマツラになる。その時、彼女が不安に揺らがないように。
「まだ未熟すぎる魔術師に、到底無茶だとしか思えない難題を突きつけた私たちからの、せめてもの優しさよ」
見ず知らずの高位魔術師に囲まれ、どうして緑の瞳を持ちながら自分達にも出来る事ができないのかと白い目で見られるよりも、師であるケムリと、共に修行していたツツジが一緒にいたほうが、どんなに彼女の心は安らぐだろう。
そしてマツラ・ワカは、きっと魔王を倒す。
自分たちにはその確信があると、スイは口元に笑みを浮かべた。