意思をもつ人形
「何を言ってるんです。正気ですか」
オカリさんは、僕にフリューゲルとツキサの人たちを相手に喧嘩しろって言ってるんですか?
かろうじて出てきた言葉に、オカリはにやりと笑みを返してきた。
「魔獣に襲われた人間は気が触れるって? そんなの迷信よ」
正気に決まっていると続けたオカリにツツジは顔をしかめる。
「じゃあどうしてそんな事を言い出すんですか。よく考えなくても、オカリさんはここにいなきゃいけないって事はわかるでしょう?」
言い聞かせるような口調のツツジに、オカリは苦虫を噛み潰したような顔をする。
ツツジの言うことに心当たりがある証だ。
ここぞとばかりに、押し殺した声でツツジは畳みかける。
「オカリさんが怪我をしたっていうだけで心配する人が大勢いるのに、あなたが居なくなったとなれば、それこそ大騒ぎになります」
万が一にでも、魔術師がオカリを連れて言ったと露見すれば国交問題にすらなりかねない。
少なくとも、国民感情は最悪の方向へ向かうだろう。
一緒に連れて行けなんていう考えは、どうかしているとしか思えない。
しかし不満に唇を尖らせたオカリは「違うわ」と頬を膨らませる。
「あたしがここから居なくなる事よりも、あたしが国王に会う事の方がずっと問題よ。ゼンリはこの機会を逃さない。ここぞとばかりに、フィラシエルへ攻め入るための足がかりにするに決まってる」
不可解な術を使うフィラシエルの魔術師たちは悪しき存在である。
魔獣を使ってこの国を攻撃してくる魔術師たちを許してはならない。
普段からそう公言するフリューゲル隊長のゼンリ・ズチは、またとない好機を棒に振るような男ではない。
この国で似たような考えを持つ人間は少なくなく、彼は王宮で同調してくれる貴族や王族を見つけるだろう。
「王宮に仲間を増やしたあいつがその後どうするかなんて、見ないでもわかるわ。どうにかして、あんた達を潰そうとするわよ。それこそ、戦争ふっかけてでもね」
フリューゲルという自警団の全隊長という立場を得た。
民衆の熱い支持も得た。
そしてゼンリは、彼らを煽るための存在として、オカリを勝利の乙女として仕立てあげた。
「他に足りないのは、強力な後ろ盾じゃないかしら? あたしがこのまま王宮へ行けば、ゼンリは調子に乗るに決まってる。あいつの計画にオカリ・ユフの存在は必用不可欠。自分で言うのもなんだけど、重要な役割を担ってる」
どうしても魔術師をグランディスの国敵にしたいらしいゼンリの計画をぶち壊すために、自分が消えればいい。
「それだけの事よ。どうかしら。魔術師にとっても悪い話じゃないと思うんだけど?」
小首を傾げるオカリに、ツツジは首を左右に振って答える。
「足がついたとき、こっちにかかる負担が大きすぎます」
「アタシが自分で出ていったと思わせればいいじゃない」
「ほら、またそんな事を言う! そうだとしても、オカリさんが一緒だと目立ちすぎるんです。一発でバレます。無理です」
そもそも、常に人に見られている身のくせに何を言っているのか。重ねて、まだ怪我も治っていないのに。
しかしオカリは、またも違うと否定する。
「あたしはね、ツツジ。求められてここに来たと思ってた。でもゼンリが欲しかったのは、誰もが夢中になれるお人形だったわけよ。別にあたしじゃなくても構わないの」
一挙一動、ただひと声で人々を熱狂させる事のできるお人形。ゼンリの思うように動かせる相手なら誰でもよかった。
「たまたまタイミング良くあたしがゼンリと会った。だからあたしは勝利の乙女として、この街に来た。お生憎さま、黙って言うこと聞くだけのお人形になるつもりなんて無かったから、できる限り反抗してやったけどね!」
生まれ故郷に居れば、一生王都へ来ることは無かっただろう。
その点、ゼンリに感謝はするがこれ以上は付き合えないとオカリは息をつく。
「王宮には行ってもいいわ。国王にだって会ってやる。でも、あいつのお人形のままでいるのは我慢できない」
誰でもいいんなら、ゼンリが自分で代わりの人形を探してくればいい。
吐き捨てるように言った彼女の言葉にツツジは天井を仰ぐ。
他の誰かで代用できるなら、わがままとも呼べる性格のオカリはとっくに切り捨てられていたはずだ。
誰でもいいのなら、こんなに扱いにくいオカリをずっと手元に置いておく訳がない。
大きな計画を立てているのなら余計だ。
いつ反抗するかわからない駒など、早々に捨てられる。
なのに彼女は残されていた。
ゼンリのしている事、これからしようとしている事。
それらが善い事か悪い事かは別にして、ゼンリ・ズチにとってオカリ・ユフは替えのきかない人形だったのだ。
彼女はそれをわかっていて、ここから出ていくと言っているのだろうか。
オカリは、自分がしてきた事に気付いていないのか。
誰か彼女に言い聞かせて教えてやってくれ。
例えゼンリに仕組まれたものだったとしても、オカリに救われた人が大勢いる事を。
彼女の行動に、言葉に、救われた人が確かに存在しているのだと。
ツツジ確かにそれを見たのだ。
彼女の行動を操る腕の無い場所で、オカリが自分の意志でその部屋に入るところを。
彼女の声ひとつでその場の空気が変わるところを。
間違いなく、彼女は必用とされていた。そしてあの時オカリは、決して人形ではなかった。
しかしオカリは決意に満ちた表情でツツジを見る。
放っておけば、いずれゼンリは後ろ盾が無くともフィラシエルに攻撃してくるだろう。
そう前置きした彼女は言う。
「あたしの存在は切り札になる。連れて行きなさい。ゼンリの目的を潰すためにもね。それが、あんた達魔術師のためよ」
フィラシエルについて来れば、オカリにとって取り返しがつかない事になる。
もうこの街には戻って来れないだろう。
ツキサだけではない。
彼女が生まれ育った町にだって、帰れないかもしれない。
裏切り者と呼ばれる未来の可能性も、彼女はちゃんとわかっているのだろうか。
いつもの無鉄砲な思いつきで彼女はこの提案をしているのではないか?
そう考えると、やはりオカリの行動に不安を感じざるを得ない。
確かにオカリがフリューゲルを去る事で、今後の脅威が弱体化する可能性を考えれば喜ばしい事だ。
あの日、魔獣狩りに失敗して戻った村で、負傷した団員のもとを訪れたオカリを見たツツジは、このまま彼女がフリューゲルに留まり続けた時、間違いなくその存在が脅威になると思った。
フリューゲルの勝利の乙女、オカリ・ユフは人々を惹きつける。
やがてオカリのためにと、武器を手に立ち上がり、命を投げる者が現れるだろう。
その未来の可能性を潰せるのなら、オカリを連れて行くべきなのかもしれない。
だがツツジには決断を下すことはできなかった。
何より彼女は怪我人だ。
そんなオカリを連れて、滞りなくフィラシエルへ帰る事ができるのか?
「……僕だけでは決めかねます」
ラクトは何と言うだろうか。
彼と相談しない事には答えを出す事はできない。
時間が無いのはツツジたちもオカリも同じだ。
彼女が王宮へ向かうのはここ数日以内だろう。
次にツツジがオカリを訪ねるなら、それよりも早いタイミング。そして彼女をフィラシエルに連れて行くと決めた時だ。
立ち上がるツツジに、オカリは棚を指さす。
「下の段に置いてあるわよ。……いつまでたっても乾かないハンカチ」
その言葉に渋い顔をしたツツジに、オカリはくすりと笑う。
「安心しなさい。例え迎えに来てくれなくても、誰かに言ったりしないから。何のために、もう来るなって言ったと思ってるのよ」
本当にばかね、と溜息混じりに笑う彼女にツツジは目を見開く。
それがおかしかったのか、笑いを噛み殺すようにしてオカリは手を振った。
「急ぐんでしょ。早く行きなさい」
背中を押す言葉に、唇を噛んで頷く。
ツツジを見送る紅梅の瞳は、怪我のせいか夜の明かりのせいか、いつもより少し心細く見えた。
家路を急ぐツツジは、脳裏に焼き付いて離れないオカリの表情を忘れるために、軽く頭を振った。