見透かす瞳
駆け込んだフリューゲルの屯所。
オカリの部屋は他の団員たちの宿舎から少し離れた場所の、小さな建物がまるごと一件与えられていた。
どこまでも特別扱いのオカリの部屋へ続く、敷地内の道。
今やすっかり通い慣れた道は、日の暮れた時間でも迷うことは無い。
あたりがうっすらと藍色に包まれる時間。
約束も無しに女性の部屋を訪ねていくには少し常識はずれだという事は、ツツジもわかっていた。
なによりも、怪我をした上の長旅だ。
いくらオカリでも疲れ果てているはず。
もしかしたら、早めに就寝している可能性もあった。
しかし、オカリの部屋には明かりが灯っていた。
それを認めたツツジは、息を整えるとオカリの部屋のドアをノックする。
少しの間のあと、聞き慣れた声が返ってくる。
「だれ?」
「遅くにすみません、ツツジです」
少し不審さを含んだドア越しの声は、ツツジの答えを聞いてぐっと低くなった。
「来るなって言ったよね? もう忘れた?」
少し離れた場所から彼女が声をあげているのがわかり、室内の家具の配置を思い出しながら、オカリは奥のソファの上にいるのかと目星をつける。
「お話があって来ました。それが終われば、もう来ませんよ」
だから、開けていいですか。
問いかけて長い間をあけてからひと言。
入りなさい、と短い返事がツツジの入室を許可した。
ローテーブルに柔らかなソファ。壁際の棚と、小さなチェスト。
柔らかい色調で統一されたオカリの部屋は魔獣狩りに出る前に来たときと何ら変わりなく、しかしその中で唯一、ツツジの見慣れない物が消しようのない存在感で鎮座していた。
柔らかな花びらを思わせるような薄いピンクのドレスを着たマネキン。
大きく出した肩とぴたりとした上半身に対して、薄い布を何枚も重ね、たっぷりと布を寄せられた、裾になるにつれ緩やかに広がるなだらかなシルエットのスカート。
足下まで隠してしまう長さの裾は、見るだけで歩きにくそうだと、一瞬そんな事を思った。
ソファの上に寝そべったオカリは、ドアの前で立ち尽くしたツツジを見て口元に笑みを浮かべる。
「相変わらず、私が許可するまでドアを開けないのはアンタだけよ」
どいつもこいつも、返事なんて待たないんだから。
不機嫌に呟いたオカリは皮肉るようにドレスを一瞥した。
「それ、笑っちゃうでしょ? オーキが作らせたらしいわよ。どんな顔して発注したんだか。しかもサイズぴったりなの。キモくない?」
「王宮に、行くんですか」
どうやら、ツツジが思う以上に急ピッチでオカリが国王へ謁見する準備は進められているらしい。
ツツジの問いに、オカリは勿論と頷く。
「勝手に間に色々決められたのはムカつくけど、行くわよ。残念ね。ツツジにはアタシの晴れ姿、見せてやんない」
いつもの調子で笑うオカリ。
このドレスを着たオカリは、どんなに堂々として美しいだろう。
ふとそんな事を考えたが、ツツジは苦笑で答える。
「きっと似合うと思いますよ」
でも、と言葉を繋げ、ツツジはまっすぐにオカリを見つめた。
「王宮へは行くべきじゃない。少なくとも、オカリさんが自由に動けるようになるまでは」
「それ、いったいいつになるかしらね」
間髪入れずに口を開いたオカリの、紅梅の眼が睨むようにツツジを見据える。
圧倒され、視線を逸らしそうになるのを必死に踏みとどまり、ツツジは負けじと言い返す。
「いつになるかはオカリさん次第でしょう」
不満そうにツツジを見るオカリに、このまま喋っていても埒があかないと、ツツジは首を振った。
「僕も暇じゃないんです。急にふるさとに帰らなければならなくなりました。その報告と、最後の挨拶に伺ったんです」
もうツキサに来る事は二度と無いだろう。
ツツジの言葉に、オカリは大きく目を見開いた。
「いくらなんでも急すぎるでしょ。まさか冗談じゃないでしょうね」
オカリに言われたくない言葉だな、と思いながら疑う視線に真実だと答える。
「言ったでしょう? 暇じゃないんです。こんな冗談言うためにわざわざ来ませんよ。先日お貸ししたハンカチさえ返して頂ければ、もうここには来ません」
「……そんな事のために、わざわざここに来たの?」
オカリにとってはどうでもいい事でも、ツツジにとっては重要な事だった。
「あれは、とても大切なものですから」
ゆっくりと頷いたツツジから目を離す事無く、オカリは座ったままの姿勢で腕を組み、小さく首を傾げる。
「ツツジの故郷って、どこ?」
それは、何度も覚悟した問いだった。
何度も覚悟して、答えるべき言葉もを練りに練った。
しかし今の紅梅の瞳は「遠くだ」と曖昧な言葉でごまかす事を許しそうにもない。
黙っていると、オカリは二、三度瞬きのあと同じ質問を繰り返す。
「教えて。とても大切な事なの。アンタが帰るのは、どこ?」
何も言わずに分かれる事が出来るのなら、それが一番いい。
ツキサで知り合った誰にも、真実を知られてはいけない。
本当の事は、最後まで隠し通さなければ。
けれどオカリの眼は嘘を見抜くように鋭い視線を向けてくる。口を開けば、用意していた答えすら声にする前に霧散してしまいそうだ。
互いに沈黙のまましばらく時間が過ぎ、やがて少しぎこちない動きで立ち上がったオカリが、ゆっくりとツツジの前に立つ。
壊れ物の入った箱を開けるようにそっと腕を伸ばし、しっかりとした力でツツジの腕を掴んだオカリは、硬い表情でツツジの目を覗きこんだ。
「言えないのは、ツツジが魔術師だから? フィラシエルに帰るの?」
くらりと世界が揺れたような気がした。
思わず後ずさろうとしたツツジに、逃げる事は許さないと言うようにオカリは彼の腕を掴む手に力を込める。
青ざめた顔のツツジに、確信を込めて。
「間違いないのね?」
確認をとる声に、唾を飲む。
やはり彼女は気付いていたのだ。
この街で魔術師は守られない。
わかっていたのに、いざその局面に立たされると動くことができない。
じわりと嫌な汗がにじんでくる。
心臓が早鐘を打って、頭がくらくらするようだ。
帰らないと。
いよいよもってここには居られない。
このまま捕まれば、いったいどうなってしまうのだろう。
あの赤毛の魔獣のように、今度は自分たちが取り囲まれ、槍で突かれるのか。
そんなのはごめんだ。
彼女の腕を振り切ってでも家に戻って、一刻も早くフィラシエルに帰国しなければ。
「……離してください」
もうお守りがどうとか言っている場合じゃない。
けれどオカリは更に手に力を込める。
「否定しないのね?」
「もう帰ります」
「だめよ。逃がさない」
言い切った彼女の迫力に怯んだツツジの腕を、オカリはぐいと引く。
「アタシの目を見て。本当の事を言いなさい」
そらす事を許さない紅梅の瞳。
小さくかぶりを振って、ツツジは呟くように乾いた唇を動かした。
「僕を、どうするつもりなんですか」
ゼンリに突き出すのか。
魔術師は嫌われているが、正式に罰する法は存在していない。
代わりに、何が起こるのかわからない私刑が待っている。
殺される事は無いかもしれないが、予定通りフィラシエルに帰る事はできないだろう。
「何もしません。僕らは国に帰るだけです……どうか」
この手を離して、この事には目を瞑ってください。
果たしてオカリが自分の言葉を受け入れてくれるのかは定かではない。
できる事なら穏便に事を済ませたい思うツツジに対して、何に対しても派手のすぎるオカリは首を縦には振らないように思えた。
見つめあう事数秒。
だったら、とオカリは苦しそうに顔を歪める。
「アタシも連れて行きなさい」
突拍子もない言葉に、意味を理解しかねたツツジは一瞬何かを聞き間違えたのだろうかと僅かに首を傾げた。
「すみません、なんて言いました?」
念のため聞き返すが、彼女の表情に疲れが滲んでいるのを見て、ひとまず座らせる。
元の場所に収まったオカリは、相変わらず逃がすまいとするようにツツジの腕を掴んで離さない。
仕方なく膝をついたツツジに、声を落としてオカリは話を始めた。
「アタシが自由に動けるようになったら、って言ったわね。でも、ここにいても、そんな日は永久に来ない」
ほとんどの自由が許されていた今までも、肝心なところはすべてゼンリが決めていた。
表舞台に立つ日。
何を着てゆき、何を話して、どう動くのか。
微笑み方、手の振り方、声の出し方まで。
今までもこれからも、オカリ・ユフはゼンリ・ズチのお人形のまま、いいように飾られてゆく。
だから自分もフィラシエルへ連れて行け。
話を聞きながら、今度こそツツジはオカリの言っている事に全く頭がついていかなかった。