隊長は話下手

 一行がツキサへ帰る準備はゆっくりと、しかし滞りなく進められた。
 オカリの荷物は他の人間が触るわけにはいかないという理由でツツジにすべて任され、荷物その他の事について確認しようと、いまだ動き回る事を止められているオカリの所に行けば、会いたくないと面会を拒否された。

 何度かそんな事が続いて、しまいにはドア越しに「もう来なくていいから」と告げられた。
 特にオカリと喧嘩をしている訳でもなく、しかしツツジにはオカリが頑なに面会を拒否する理由に相当する案件の心当たりがじゅうぶんに、そして複数ある。
 あの日オカリは何も言わなかったが、本当は口にしなかっただけで、魔法の事を何か察しているのかもしれない。

 それとも、本当にただ単に顔も見たくない程ツツジの行動に呆れて腹をたてているのかもしれない。
 本人に聞いてみなければ何もわからない。
 けれど今のツツジはオカリに会う事を拒否されている上、例え会えたとしてもその事を尋ねる勇気は持てなかった。

 結局ツツジは、少しの罪悪感を感じながら独断でオカリの荷物をまとめ、自分の荷物も整理し、出立の時を迎えた。
 その頃になると、ツツジとオカリの仲が険悪になっているという事は第三隊の全員が知る事となり、なぜかツツジは他の隊員から優しくされた。

 そんなに落ち込んでいるように見えただろうかと考えてみるが、親しい相手がいないこの場所で、オカリから相手にされないとなれば確かにひとり孤立しているように見える事に気付く。
 それまでの二人が特に険悪な様子もなく、むしろ良くも悪くも良好な関係に見えただけに、周囲が余計に気にしていると知ったのは、出発前にモコウに呼ばれてからだった。

 おもむろに「大丈夫か」と問いかけてきた第三隊隊長に、ツツジは最初きょとんと瞬きを繰り返し、少し間をあけて「オカリ様の事だ」と発せられた言葉に納得したように頷いた。

「どうしてか皆さん、ものすごく気を使ってくださって……」

 苦笑すれば、モコウはひどく真面目な表情でツツジの両肩を掴んだ。

「俺が言う事ではないかもしれんが、気を落とすな」
「は……?」
「妙な考えは、起こすな」
「……あの……?」

 要領を得ず首を傾げるツツジに、モコウはさらに続けた。

「捨てられた等と思うな。世の中、女はオカリ様だけではない」
「えっと……」

 どうやら第三隊の中で、自分はオカリから捨てられた事になっているらしい。
 さらに前提となるツツジとオカリの関係も誤解されている気がする。
 真剣に自分を見つめるモコウに、ツツジは気まずい思いで答えた。

「たぶん、何か勘違いです」
「何がだ」
「僕、オカリさんに捨てられてないです」
「現実を、見ろ」
「最初から僕はオカリさんの子分で、それ以上でもそれ以下でもないんです」
「では俺たちが見てきたものは何だったのだ」
「それについては言い訳もできないのですが」

 モコウの言葉は、三隊の団員達の言葉だ。
 きっと誰もが言えずにいた事を、彼が代表して言っているに違いない。
 集団で勘違いされていたと思うと、顔から火が出るような気がした。確かに否定できないほど、オカリとツツジの距離は近かった。
 主にオカリから迫ってきたような気もするが。

 数秒目を合わせたあと、ゆっくりと一歩後ろにさがったモコウは大きく頷いた。

「……そうか。俺は信じていた。おまえ達の仲が清いものであると」

 果たしてそれが本来の彼の意見だったのか、それとも慌てて出てきた言葉だったのかはわからない。
 それよりも、彼にはもっと心配すべき事がたくさんあるはずなのだ。

 ツツジの胸に、オカリの言葉が蘇る。
 勝利の乙女たるオカリと共に任務に出た第三隊が失敗して帰れば、叩かれる。
 モコウ率いる三隊は今日、ツキサに向けて出発する。
 オカリの予想どおりの展開になるのなら、ツキサに戻ったときに石を投げられるのは彼なのだ。

 その責任の一端はツツジにもあり、けれどオカリと違ってモコウは何も言わないし、その事に触れてもこない。
 知ってしまったのに何も言われない事は、知らなかったのにそれを告げられる事と同じくらい胸に重い。
 何て事をしてくれたんだと怒鳴られる方が、まだましだ。
 ツツジは意を決して、「それなら良かった」とひとり頷いているモコウに向かって、口を開いた。

「隊長。僕、オカリさんに言われたんです。僕がした事は第三隊の立場を悪くする結果を招くと。そう言われるまで、僕は自分がした事がどういう結果になるのかわかりませんでした……」

 今更何を言っても言い訳にしか聞こえない。けれどツツジはどうしてもモコウに頭を下げておきたかった。
 ツキサでどんな答えが出たとしても、彼は悪くない。

「本当に、すみませんでした」

 オカリについて来るべきではなかった。
 ぽつりと零れた言葉の数秒後。頭をあげろ、とツツジの後頭部に低い声が降ってきた。
 顔をあげたツツジに、腕を組んだモコウは難しい顔で問う。

「ツツジ・ナハ。お前は狩りに行ったことはあるか」
「一応、故郷で」

 しかし教わったのは、相手から逃げる方法だった。目を逸らさず、細かな動きを観察しろ。必ず、逃げる事のできる瞬間がある。
 師匠であるケムリは魔術師ながら、立派に山の男だった。
 ケムリはイノシシもクマもウサギもきちんと仕留めていた。
 だが、思い起こせばケムリは肝心な時にこそ、家をツツジに任せて狩りに出ていた。

 血の流れる瞬間を、絶対にツツジに見せなかった。

「そうか。では、お前は自分で獲物を捕らえた事は無いのか」

 頷いたモコウは不思議そうにツツジを見ると、やはりお前は変わっているな、と続ける。

「過保護だったのか、大切にされていたのかは知らんが」

 そう言われるとツツジは返す言葉がない。
 きっと過保護にされていたのだ。
 見てしまったら、もうその食材を口にする事ができなかったかもしれない。ケムリはそれをわかっていた。
 だから、ケムリはツツジには逃げる方法だけを教えた。
 カル・デイラの山中で、本当に自分はあらゆる物から守られていたのだ。

「情けないなぁ。今の今まで気付けなかったなんて」
「おい、泣くな」

 俯いて思わず呟いた言葉に、すかさずモコウが重ねてくる。
 フォローするように、彼は慣れない様子で言う。

「お前の師匠という男の教えは、間違ってはいない。手に負えない相手から逃げるのは、悪いことではない。今回も、逃げたから助かった奴らがいることを忘れるな」

 泣いてはいないし、泣きそうにもなっていない。
 それでもツツジは、気を使ったにしろ師を誉めてくれたモコウの言葉が嬉しかった。

「オカリ様の言われた事も、正しいのかもしれない。だが、自分の部下を守ることも、私の役目だ」

 全員が一命を取り留めた。それはとても幸運な事。
 そう言ったモコウは「安心しろ」と続けると、くしゃりとツツジの髪を撫でた。

「ツツジ・ナハ。お前は戦いには向いていないが……間違ってはいない」


 オカリのために馬車を一台借り受け、一行はツキサへ向かい出発した。
 行きよりもさらにゆっくりな旅は、今度は村から町、町から村へと負傷者の体調を見ながら進んでいく。

 オカリ・ユフ負傷、第三隊任務失敗の情報は一行よりも早く人々の間を駆け抜け、ツキサに着く前にフリューゲル本部からの遣いがオカリを迎えにやってきた。
 フリューゲル隊長ゼンリの手紙を携えた男は、オカリだけを連れて帰ると言い、嫌がり暴れようとするオカリは押さえつけるようにして半ば無理矢そちらに理引き渡され、供人のツツジも彼女とツキサに帰る事になった。

 迎えの男と第三隊の間で、どんなやりとりが交わされたのかはツツジの知るところではない。
 だが、王都を目前にして彼らは帰都を止められた。
 立ち往生する事になった彼らの今後が心配だったが、見送る三隊の団員とモコウに深々と礼をして、ツツジはオカリの乗せられた馬車に乗り込んだ。

 最後に深く頷いたモコウが何か言いたげな表情をしていた事が、余計にツツジを不安にさせた。
 そして王都に入る直前に、オカリはとても久しぶりにツツジの名を呼んだ。
 反射的に大きな声で返事をしたツツジに、オカリは冷たい口調で告げる。

「ツキサに入る前に降りて。そしたら、もうアタシの所には来ないで」
「え?」

 予想外の言葉に呆気にとられるツツジ。
 反対側に座る男は少し意外そうにオカリとツツジを見比べた。

「あんたも、ぼさっとしてないで。馬車を止めて。この子をおろしなさい」

 鋭い言葉に弾かれたように、男は御者に声をかける。馬車が止まったタイミングで、ツツジは荷物と供に道に放り出された。

「ばいばい、ツツジ。アタシ、割とあんたの事気に入ってたよ」

 放り出される直前耳に届いた小さな声。振り向くと、静かに微笑むオカリが、控えめに手を振っていた。
 呆然と立ち尽くし、遠ざかる馬車を見送るツツジはその姿が見えなくなってから、ゆっくりと歩きだした。

 一体全体、どういう事なのか意味がわからない。
 オカリの気まぐれはいつもの事だが、これで本格的に自分は解雇されたようだ。
 最初の時と同じく、ひどく自分勝手な事に。
 そう思うと、ふつふつと怒りがこみ上げてきて、道端の小石を蹴りながら呟く。

「いつも! いつも! オカリさんと! きたらっ!」

 何でも勝手に決めて、押しつけて。
 こっちの意見なんてまるで無視するどころか、聞く事さえしてくれない。自分勝手にも程がある。
 それなのにあんなに周りに好かれているのだから、本当に人生特をしているとしか思えない。

「もう来るなっていうんなら! 行くもんか! 呼ばれたって! 行くもんか!」

 僕だって怒るときは怒るんだ、と怒りに任せて蹴飛ばした小石は、勢いよく草むらに飛び込んでいった。
 ツキサの家に到着するまでには、まだしばらく時間がかかりそうだった。