揉め事回避はうまくいかない

 早朝の出発にも関わらず、フリューゲルの屯所の前にはオカリを見送ろうとする人々が大勢集まっていた。
 盛大な見送りに、馬上のオカリは相手を魅了するよそ行きの笑顔で答え、行ってきますと手を振った。

 馬を乗りこなす事のできないツツジは、荷車の上からその様子を眺めている。
 今後起こる事を考えれば、オカリや他の団員のように笑顔を浮かべる事はできず、表情はこわばったままだった。

 今回魔獣狩りに出動した第三隊は総勢二十名。
 それに加えてオカリとツツジがついていく。
 他の団員と深い親交がある訳でもないツツジは、初めて顔を合わせる相手と並んで座っているのも居心地が悪く、かと言って長く続く沈黙を破るだけの話題も話術も持ち合わせていない。

 オカリのほうは、気を使った第三隊の隊長に何かと話しかけられているようだった。
 しかし、その表情が心なしか引きつっている所を見るに楽しい話ではないらしい。

 実際、第三隊長のモコウ・ボドは若い少女と会話が弾むようなタイプには見えない。
 その証拠に、昼食の休憩に入ったとき誰より早くツツジを捕まえたオカリは午後から自分の馬に一緒に乗るように言ってきた。
 午後からも荷車の上で気まずい無言の時間を過ごすのかと思っていたツツジにとって、その申し出は大変ありがたかったが、冷静に考えると少しまずいような気もする。
 返事に躊躇していると、オカリは「なによ」と頬を膨らませた。

「あたしと一緒が嫌だっての?」
「そういう訳じゃないくて、ですね」
「じゃあ何でよ。つまんなそうな顔してボケっとしてたくせに」
「それは否定できませんが……」

 オカリの馬に一緒に乗るという事が問題なのだ。

 数日前のからかい混じりのラクトの言葉を思いだし、また他の団員をちらりと見て、ツツジは額に手をあてる。
 四六時中オカリについて回るだけでも、オカリを崇拝している人間からは嫉妬のまなざしで見られる。
 なのにここぞとばかりに相乗りなんてした日にはどうなるか。
 重ねて、手綱を持つのはオカリの役目だ。
 男女が逆転したその光景に、男気もなければ甲斐性も無いと言われるのが目に見えている。

「ツツジは座ってるだけでいいんだから、問題ないでしょ?」

 それが問題なのだ、と言いかけたツツジに構わずオカリは大きく肩を回す。

「モコウ隊長には、あたしから話つけてくるから。悪い人じゃないんだけど無理して話しかけてくれてるのが解るから、こっちも疲れちゃうのよね」

 止めようと伸ばしかけた右手は半端な高さで止まり、スタスタと隊長のもとへ行ったオカリは二、三言葉を交わすとツツジの方を見てにこりと笑う。
 彼女の隣で硬い笑顔を張り付けているモコウが少し不憫に見えた。
 午後の出発の前には、ツツジの側まで来たモコウが低い声でオカリの機嫌を損ねたのだろうかと問いかけてきた。
 屈強な男の心配そうな声に、ツツジは首を左右に振る。

「そんな事は無いですよ。オカリさんも、隊長は気を使ってくださっていると」

 本当は少し違うけれど。
 オカリの言葉をそのまま伝えると、空気が凍り付いてしまう事が多々ある。
 波風をたてないように伝える答えはすでに何パターンも用意してあった。

 ツツジの言葉を聞いたモコウはあきらかにほっとしたように胸を撫で下ろして苦笑した。

「ならば良いのだが。初陣で緊張されているかと話かけていたのだが、どうも私にはそういう役目は向いていない。昔から言われている事ではあったが、今日も改めてそれを実感した所だった」

 やはりこの人は口下手なタイプだったのだ。
 内心頷いて、ツツジはそんな事は無いとフォローを入れる。

「そのお気遣いはオカリさんも感じてらっしゃるはずです。第三隊はフリューゲルの中でも魔獣狩りで一番成果をあげている隊だと聞いています。モコウ隊長は実戦経験も豊富な方だから、魔獣と相対する時も恐れる事はなにも無いと言われました」

 誰から見ても戦力外のツツジを勇気づけるための言葉は、オカリからもゼンリからも向けられたものだ。
 誰もが認める最弱のメンバーは間違いなくツツジで、同行する隊が違ったならツツジはツキサで留守番だった可能性もある。

「それほど光栄な言葉はないな。君はオカリ様のお気に入りだ。君を連れて行けないなら行かないと、オカリ様は団長に断りを入れたくらいだ」
「え?」

 初めて耳にした話に思わず聞き返したが、モコウは顎に手を当ててツツジを見下ろす。黒い目を僅かに細めた彼はゆっくりと続けた。

「ツツジ・ナハ。オカリ様の供人というから、どんな奴かと思っていたが、弱すぎる所を除けばまともな人間のようで安心した。私は……恥ずかしながら、あまり人と話をする方ではないが、噂話というものは耳に入ってくる」

 良いことも、悪いことも。

「オカリ様は魅力的な方だが、まだ……そう、少し若すぎる。愛されもするが、それだけではない。だから、人当たりの良さそうな君がオカリ様の側につく事になって、良かったと思っている」

 賛否両論あるだろうが。
 言葉を選ぶようにしてそう告げたモコウは、王都に戻るまでよろしく頼む、と言い残し出発の準備をする団員達のほうへ戻っていった。

 離れていく大きな背中をぼんやりと見つめ、ツツジはモコウの言葉を反芻する。
 出てきた答え。第三隊隊長モコウ・ボドは、オカリの味方。
 そして、オカリの周囲のどこかに彼女を良く思わない人物がいる可能性もあるという事。
 敵に気をつけろという警告なのかもしれないが、それにしても爆弾を投げられたとしか思えなかった。

 彼はツツジを信用しているのか?
 それともツツジをその敵だと思っているのか?

 モコウという男を良く知らないツツジにはどちらの判断もし難く、唇を引き結んで、他の団員と喋っているオカリに目をやった。
 彼女は決して頭の悪い人間ではないはず。
 ましてや、自分に悪意を持つ相手に気付けないような間抜けではない。だからこそ以前彼女は「油断できない」と言ったのではないか?

 考え始めればきりがなく、ツツジは出発の準備をしながらオカリのほうを注意深く観察した。
 オカリの様子におかしな所は無く、また彼女の周りに不審なものは見当たらない。
 こんな昼間に何かすれば、誰かに気付かれてしまう可能性も当然高くなる。害を成そうとするなら、どさくさに紛れた時がいいに決まっている。
 もし自分なら、そのタイミングは魔獣と遭遇して隊全体がざわつく時だ。
 幸か不幸か、フリューゲル第三隊は魔獣狩りにおいて団の中でもっとも成果をあげている。
 魔獣と相対する事に一番慣れているのが、モコウの率いるこの第三隊だ。
 魔獣と遭遇したからと言って、彼らが冷静を失う事は無いだろう。

 それにしても、とツツジは深くため息をついた。
 本当に、どうしてこんなにオカリの事を心配しなければいけないのか。

 オカリはツツジより体力も身体能力も上なのだ。
 そんな彼女を、自分が助けなければいけない状況が、果たしてくるのか?
 今はそうならない事を祈るしかない。

 どう見ても無力な少年は、武術王の再来と呼ばれている少女を守るだけの力など持ち合わせていないのだから。
 何も起こらなければ、ツツジは少し頼りないオカリの供人のままでいられる。何かあったとしても魔法を使うような局面にさえならなければ。

 そこまで考えて、ツツジははっとして手を止めた。

 今、なにを考えていた?

 一瞬だけ、本当に必要ならオカリのために魔法を使おうと思ってしまった。
 この国で魔術師だとばれる事は、身の危険すら伴う。加えて今は任務の失敗にも繋がるというのに。

「しっかりしないと!」

 軽々しく魔法を使おうなんて思ってはいけない。
 気を引き締めるように両の頬をぱん、と叩いたところで不思議そうな表情のオカリと目が合った。

「ひとりで何やってんの?」
「気合いを入れてました」

 馬を引きながらツツジの方へ向かってくる彼女に、頬に手を当てたままの状態で返事をすれば、へぇ、と味気ない相槌をうったオカリは軽やかな身のこなしで馬の上にまたがった。

「じゃあ、ツツジの気合いが入ったところで丁度よく出発ね。準備はできてるんでしょ?」

 オカリの言葉にひとつ頷いて、再び確認するように身の回りを見たところで、草の上に見覚えのあるものが落ちている事に気がつく。
 慌ててポケットの中を確認すれば、確かに入れていたはずのものが無く、飛びつくようにその小さな白い布を取り上げた。

「あ、あぶなかった……」

 大切なものなのに、こんな所に落としていく訳にはいかない。
 細かな刺繍の施されたハンカチは、フィラシエルを出る時に妹弟子のマツラが作ってくれたお守りだ。
 彼女の故郷の伝統刺繍。そこに込められたおまじないは、精霊の加護を得てツツジを守ってくれる魔法具としての特性を備えている。

 旅の安全と戦いの勝利を願って施されたまじないによりか、今のところは決定的な危機もなく、もしくは助けが現れ、ツツジは何とか無事でいた。
 ほっと胸を撫で下ろしたツツジに、馬上のオカリが首を傾げた。

「何か落としてたの? ……ハンカチ、に見えたんだけど?」
「お守りなんです。故郷を出るとき、友人に貰った、大切な」

 少しついてしまった汚れをはたき落とし、上着のポケットの中にしまう。その様子を見ていたオカリは、納得したようににやりと笑う。

「女ね」

 たった一言の、けれどダメージは十分な単語にツツジは顔を赤くして抗議する。

「友人って言ったじゃないですか! お、女って……」
「間違いなく女でしょ。そんなに大切そうにしまってるんだから、男から貰った物なわけ無いわ」

 嘘をついてもお見通しだと、からかうような表情のオカリはなお続ける。

「アタシっていう美少女が側にいるのに、ツツジってばヒドーイ」

 あからさまな棒読みに、ツツジはまたも「近所のご婦人方が期待している」というラクトの言葉を思い出す。
 なんて事はない、からかわれている。
 ここで慌てたら、オカリやオバチャンたちの思う壺だ。
 何回か心の中でそう繰り返して深呼吸をひとつ。

「はいはい、天下のオカリさんに焼きもち焼いてもらえるなんて、光栄ですよ」

 オカリに負けず劣らず感情の籠もらない棒読み。にも関わらず、その答えは彼女のお気に召したらしく、声をあげて笑ってからオカリはツツジに向かって手を差し出す。

「そんなツツジに、あたしと二人乗りっていう更に光栄な役割を与えてあげるわ」

 いたずらな笑みと自信に満ちた声。
 もはや返す言葉も無いツツジは、彼女とは反対に苦笑を浮かべてその手を握り返す。
 ツツジを馬上へと引き上げる、一見華奢な腕の強い力に、やはり彼女が自分の助けを必要とする日など来ることは無いだろうと思い直した。