見えない中身

 どさりとテーブルの上に置かれた手紙の束。
 オカリ宛に届くそれらの封書開けていく事もツツジの仕事のひとつだった。
 減る事の無いそれらの手紙は、ツツジが初めてこの作業にあたった時に比べ、少しずつではあるが確実に増えてきている。
 封を開けて、ざっと中身を確認してからオカリに回す。
 そこではじかれるのは、悪意の込められた文章だ。
それも内容は「ツツジをクビにしろ」だとか「私のゼンリ様に近づかないで」だったりで、純粋にオカリに対して悪意ある文面が送ってきた事は、ツツジの知る限り片手で足りる程だった。

「今日も相変わらず来てますね」

 オカリの部屋で椅子に座り、まとめられた束を見てひとこと。
 ツツジがペーパーナイフを手にしたのを見たオカリは自分の書き物の手を止めてツツジを振り返った。

「あっつーい手紙? まあ、悪くはないけど」

 言いながら、ツツジの隣に立ったオカリは、ひょいとその中の一通を手に取る。

「あっ、勝手に開けないでくだいよ! 開封は僕の仕事だって、オーキさんに言われてるんですから!」
「あんな奴の言う事、真面目に聞いてんのが気にくわないわ」

 慌てて抗議するも、それをぴしゃりと跳ねのけたオカリは乱暴に封を切りはじめる。
 仕方ないと溜息をついたツツジが別の一通を手にとったとき、オカリが小さく声をあげた。

「いっ……!!」

 息を呑むような声に「なんですか、もう」と再び溜息まじりに彼女を見れば、押さえた指の間から赤い雫がぽたりと落ちる。
 見れば彼女が手から落とした封筒の中から、ごく薄い刃物が顔をのぞかせていた。
 反射的に立ち上がったツツジはおろおろと部屋の中を見回す。

「だ、大丈夫ですか!? 手当て! 手当しないと!!」
「落ち着きなさい。騒ぎ立てる程の怪我じゃないわ」

 顔をしかめたオカリは指を抑えたまま頭の高さまであげると、ツツジが座っていた椅子に腰をおろした。
 でも、と食い下がるツツジに、今開けた封筒の中を確認するように言う。

「そんな場合じゃないでしょう! 血が出てるんですよ!?」

 非難すると、オカリは強い口調で促す。

「いいから、中身、見て。自分の怪我の程度くらいわかるから。この位なんともない」

 睨む瞳の迫力に、ツツジはおろおろしながら、慎重にオカリが落とした封筒を拾いあげると、そっと二つ折にされた紙を出した。
 開けば、書いてある文面はごくシンプルなもの。

「ツツジ・ナハを今すぐ貴女の供人から外してください。美しく気高い貴女に、彼は不釣り合いすぎる」

 ゆっくりと文字を読み上げるツツジの声は震える。
 外の誰のせいでもない。
 オカリの怪我の原因はツツジだ。
 しかしそっと視線を向けた先、指を抑えたままのオカリはひどく強気な笑みを湛えていた。

「くだらないわね」

 切り捨てるように言った彼女の瞳が震えるツツジの手元を見る。

「……ねえツツジ。好意だけ貰ってていい訳ないじゃない。これだって、あたしに向けられたものよ。なのに、あたしが受け取らないなんて、ずるいわ。だから、あたしはツツジに封開させるのには反対」

 ここに重ねられているものは好意も悪意も等しく自分が受けるべきものだ。
 それに、とオカリは続ける。
 紅梅の瞳が、きらりと煌めいたように見えた。

「向かってくる刃は叩き折るだけよ。それがくだらない物なら、問答無用でね。アンタをクビにしろですって?」

 傷口を押さえていた指を離したオカリは、切れた指を口元に持っていくと、まだ血の出る傷口を口に含む。
 流れた血液を舐め取り、聖女と呼ばれるにはいささか凶暴すぎる光を湛えた紅梅の瞳が、青い顔のツツジに向かって笑みを向けた。

「いいわ。それならツツジは永久にアタシの傍に置いてやる。こんな奴の言う事なんて、誰が聞くもんか」

 向けられた微笑みの迫力に言葉をなくしたツツジは、金縛りにあったように動けない。
 数秒の間を開けて、ツツジはやっとひとこと、口を開いた。

「舐めただけじゃ、ばい菌が入ります。消毒しないと……」

 消毒液を借りてきます、と力無い足取りで、ツツジはオカリの部屋を後にした。

 ツツジはオカリの瞳に狂気を見たような気がした。
 こんな奴の言う事は聞かないと言い切ったオカリには、恐ろしい程の迫力があった。
 訓練の時にたまに見る、追い詰められたような眼。
 ツツジの見えないどこかを、一心不乱に睨む表情。

 いつか、訓練の途中に休憩を勧めた時にもオカリがそういう表情をした事を思い出した。


 猛暑の中、水も飲まず休憩もしないオカリはやはりまばたきを忘れたような眼で言ったのだ。

「まだ、休めない」

 休めないはずがない。
 個人訓練をしているオカリには、そういう決まりは無いし、いい加減に水でも飲まなければ倒れてしまう。
 その時も彼女の視線に圧倒されたツツジは、やっとの事で「だめです」と短く答え、言い聞かせるようにオカリの前に回り込んだ。

「そこまでしなくてもいいでしょう。今日は訓練をはじめてまだ一度だって水分をとってないじゃないですか。そんなに汗もかいてるんです。体調を崩したら元も子も無いですよ。それに、オカリさんが倒れでもしたら、みんな心配します」

 珍しく強く言い返した言葉に見向きもせず、額から汗を流しながらオカリは敵に見立てられた的を睨みつけた。

「休めない。負けられないから」

 その一言は、こびりついたようにツツジの耳から離れなかった。
 付き合いは長くないが、オカリはここで「敵は自分」と精神論を口にするようなタイプではない。
 どこかに彼女が負けられないと思う相手が、明確な形で存在しているはず。
 何に負けられないのか、とやけくそで質問したツツジに、オカリはひとこと、短く言い放った。

「全部」

 憎々しげに仮想敵を睨むオカリに、ツツジは口を閉ざす事しかできなかった。
 その日、ツツジは思ったのだ。

 彼女の理由は、ただ単に“強くなりたい”だけではない。
 単純に肉体的な強さではなく、精神的な強靱さでもなく。
 オカリはフリューゲルの意図とは別のところで、また彼らの敵とは違う何かと戦っている。

 あの日、ツツジはそれが何なのかわからなかった。
 今日も同じだ。
 オカリは何かに追われているようにどこかを見ている。
 ツツジの見えない、近くて遠い何かを。

 果たして、自分にも彼女を同じものを見れる日は来るのだろうか?

 手当ての道具を受け取り、オカリの部屋に戻りながら、ツツジはふと、そんな事を考えたが、答えが出る前にオカリの部屋へ到着してしまった。

 早速道具を広げ、オカリの手を取り傷口を見るとツツジは一瞬息を止めた。
 痛さを想像すると、気が遠くなるような気がして、ツツジは息を止めるようにしたまま消毒薬を手に取る。

「ねえ、ツツジ、大丈夫なの? 震えてるんだけど?」

 疑いの眼差しを向けるオカリは自分でやるから、と申告してきたが、片手できちんと処置するのが難しい事は子供でもわかる事だ。
 彼女の怪我が、少なくとも自分にも関係がある以上、せめて手当くらいはしたい。
 怪我の手当てに慣れている訳ではないが、オカリが片手でするよりもましな仕上がりにはなるだろう。

「だい、じょうぶ、です! 集中するので、オカリさんは静かに!」

 真剣な顔で言えば、オカリは観念したように右手を差し出したまま口を閉ざす。
 少しぎこちない手つきで包帯を巻きながら、ツツジは珍しく大人しいオカリに言い聞かせるように言った。

「今回は傷も浅かったからいいですけど。このくらい、って簡単に言っちゃいけないんですよ? 小さい怪我が原因で病気になる事もあるんですから」
「血ぃ見て真っ青になってる人に言われたくないんだけど」
「また揚げ足をとるような…… はい、出来ましたよ。ってオカリさん!?」

 包帯の端を結んで顔をあげると、目と鼻の先にオカリの顔があった。
 至近距離で覗き込んでくる赤い瞳。数回のまばたきの後、オカリの左手が伸びてきてツツジのメガネを奪った。

「ち、ちょっとオカリさん!? なんですか! 返してくださいよ!!」

 ぼやけた視界は相手の輪郭だけを浮かび上がらせる。
 色と輪郭だけのオカリの声が、軽やかに耳をくすぐった。

「ツツジ、メガネが無いと幼馴染に似てるかな、って思って」
「だからって人の顔の一部を問答無用で取るなんて横暴ですよ! あぁもう返してください!」

 抗議の声をあげると、乱暴にメガネが顔に戻ってきた。
 焦点の合った世界で、オカリは面倒くさそうにツツジを見ている。

「でも、メガネ取っても全然似てなかったわ」
「挙句の果てがそれですか……もういいですよ……」

 溜息をついてメガネの場所を直すツツジの耳に、空耳かと思う程小さな声で「ありがと」と聞こえたような気がした。