昔話を写す娘
オカリの市街巡回は、他の隊が行くそれに比べて非常に時間がかかった。
時には親しく、また時には天上の貴人に対するようにかけられる挨拶に、ひとつひとつ笑顔で応えるオカリ。
規律のとれた隊員たちは簡単に声をかける事をためらわせる雰囲気があったが、彼女は構わずに足を止めて街の人々と言葉を交わす。
常に周囲を警戒するように陣形を保ち続ける団員たちの圧迫感は、オカリの軽やかな声と笑顔で緩和されていた。
それでも街の人々は団員たちに気安く声をかける事は躊躇っているように見えた。
にも関わらず、ツツジがフリューゲルの団員たちとは微妙に立場が違うせいか、それとも見た目が彼らのように厳つくもないせいか、オカリについてしばらく経つうちに、ツツジは徐々に街の人々に受け入れられていった。
「ツツジちゃん、ちょっとは強くなった?」
「オカリ様に迷惑かけちゃだめだよ?」
ツツジをからかうように笑う子供たち。
苦笑いで相槌を打てば「しっかりしろよ」とほかの男性に強い力で背中を叩かれ、咳き込むツツジを見た別の女性が心配そうにツツジの背を撫でて横目で男性を見る。
「ちょいと、ツツジちゃんはアンタと違って繊細なつくりなんだから、乱暴はよしとくれよ。ねぇ、ツツジちゃん?」
「……え? えっと……大丈夫、です」
しどろもどろで返事をすると、そういう健気な態度が良い所だと強く手を握られる。
少しがさつで乱暴なこの街のやり取りにも、ほんの少し慣れてきた。
最初はまるで怒られているようで、怖くて萎縮していたけれど、からかい混じりに話しかけてくる言葉も、強い力で背中を叩く手も、恐れる事は無いのだ。
怒っているような声も、そう聞こえるだけ。
どうやらこの国の人々の好意と優しさは、ツツジには乱暴だとさえ思える言葉や力に込められているらしい。
それがわかった事は、ツツジにとって嬉しい発見だった。
そしてこの日は、幼い少女がオカリの前に飛び出してきた。
「オカリさま、もらってくださいっ!」
緊張したような愛らしい声。
いっぱいに伸ばした小さな手に握られた、白く可憐な花の束。
見上げる茶色い瞳とオカリの紅梅の瞳がぶつかると、少女は慌てたように俯いた。
その姿に微笑んだオカリは、ゆっくりと膝を折ると目線の高さを合わせるようにして少女の顔を覗き込む。
「ありがとう」
部屋に飾らせてもらうわね、と。
優しい声と共に、オカリがそっと花の束を抜き取ると、少女は目をいっぱいに見開いてまっすぐにオカリを見る。
答えるように、とびっきりの微笑みを返したオカリと目が合うと、少女は赤い顔をさらに耳まで赤くして、ぱっと身をひるがえすと道の脇から見守っていた祖母らしき老婆のもとへ駆けて行った。
オカリの視線も自然とそちらへゆき、オカリと視線を合わせた老婆は深々と頭を下げ、オカリに向かって手を合わせる。
街じゅうの視線を一身に集めるオカリは、その微笑みひとつで人々を魅了した。
朝日のような淡い金の髪に、春を告げる紅梅色の瞳。
オカリの髪はグランディスの人間にしては色素が薄い。同じ金髪でも、この国やフィラシエルの人間の金髪は、収穫どきの小麦のようにもっと濃い色をしている。
陽光の金髪と春告げの紅梅の瞳を持つ美しき王と謳われる、武術王デオ・ヒノコ。
オカリの淡い金髪はこの地方では珍しく、さらに暖かみのある赤い瞳も相まって、武術王の身体的特徴をそっくり写しとった、という形容詞はぴたりと彼女に当てはまった。
だからこそ、昔話を信仰する老人たちの目には伝説の王が少女の姿を借りてこの世に舞い降りたように写るに違いなかった。
彼らは武術王の化身の少女が導く戦士たちが、かつて武術王がそうしたように人知を越えた力を持つ獣を狩り尽くし、再びこの国に平和をもたらしてくれると信じていた。
昔話が好きな子供たちも、オカリを武術王の生まれ変わりだと信じて疑わないようで、彼女に対する憧れの視線はいつもまぶしいほどに輝いている。
いつかオカリと共に戦線に立つ事を夢見る少年や、オカリのようになりたいと胸をときめかせる少女。
女の子が戦うのに、自分たちは何もしない訳にはいかないと鼻息荒く語る男たち。
自分もあと二十年若ければ共に戦ったのにと悔しがる女たち。
誰もが、オカリを見ている。
そして誰もが彼女に憧れていた。
フリューゲルの隊員たちも、オカリの事を特別な目で見ていた。
オカリがいれば、できない事など何もないと思わせる何かが、確かにあった。
そんな彼らはこの国の殆どがそうであるように、武術王を信奉しているに違いない。
武術王デオ・ヒノコ。
グランディスで、彼の存在はとても大きい。
人ならざる強大な敵を倒し国を守った王は、強さを求める国民の心にいつも深く刻まれている。
古代グランディスが平和に至る夜明けを導き、長い冬を終わらせた王。
だからこそ、魔獣が増えたと言われている今、かつて魔獣を駆逐し平和をもたらした王が、乙女の姿を借りて舞い戻ってきたというその一言で。
言い伝えの王の色を宿したオカリの姿を見るだけで。
先の内乱の傷もまだ完全に癒えていない彼らは、次の平和への希望を得る事ができるのだ。
しかし、オカリと共に街へ出て、道に膝をついた老人が両手を合わせてオカリを拝む姿を見たとき。
どこそこに魔獣が出たから討伐に行くと、隊員が出ていくとき。
ツツジはいつにも増して、理由のわからない不安を感じた。
他の隊よりも長すぎる巡回を終えて屯所に戻っても、オカリは鍛錬を怠らない。
細い体のどこにそんな力を蓄えているのかと思い観察をしたツツジは、顔に騙されずに見れば、オカリの身体はしっかりと筋肉がついている事に気が付いた。
更に彼女の食事量は男性の隊員に負けないくらい多かった。
オカリがツツジよりも健康的で、ツツジよりもずっと頑丈な身体をしているのは火を見るより明らかだった。
しかし訓練に入る時のオカリは、何かに追いつめられているのかと思うほど脇目もふらず一心不乱に取り組む。
彼女は一体どこへ向かっているのだろうかと思うときがある。
魔獣を狩り、魔術師を排除せよと唱えるフリューゲルの、人々の夢と希望と憧憬を一身に浴びるオカリ。
今のままでも十分に強く、誰からも好かれて輝いている彼女が、どうして自らを追い込むように訓練をしているのだろう、と。
例えば、ツツジが魔法を学ぶのも身体を鍛えるのも、更なる力を得るためだ。
より高度な技を会得して、多くの事をできるようになるため。ならば、オカリが自分を鍛える理由も、やはり今よりも強くなるために他ならないはず。
だが、ツツジはどうしても自分の予想が当たっているようには見えなかった。