駆る者と狩る者

 いつもより強張った表情でスコを見たオカリは、警戒を込めた声で口を開いた。

「確かに、あなたの言うとおりよ。あたしは魔獣狩りに行った。でも、これだけは答えてもらうわ」

 一度言葉を切ったオカリは、息を吸うと一語一語を切るように問う。

「どうして、知ってるの」

 白い顔の中で油断なく光る紅梅の瞳が、ぴたりとスコに照準を合わせる。
 ぴりりと張り詰めた空気に、マツラは思わず息を詰めた。
 見惚れるような笑顔を向けてくるオカリはなりを潜め、今マツラたちの前にいるのは、鋭い眼光で相手を射抜く、戦士さながらの少女だった。
 武術王の色を継ぐ娘。
 ふと、マツラの脳裏にその言葉が浮かぶ。
 スコとビカーと対峙し、溢れんばかりの闘志をみなぎらせるオカリは、確かに武術王の娘と呼ぶに相応しい。
 もしも彼女の手の中に何かしらの武器があったのなら、スコの答え如何でオカリはその武器を振るうのだろうと、そんな気がした。

「魔獣使いとか言ったわね。あなた、何者? まさか、グランディスに魔獣をけしかけていたのはあなたなの?」

 オカリの問いに、スコはにやりと笑う。

「俺にそんな事ができると思うか? お嬢ちゃん、魔獣使いに出来るのは、こいつらの言葉を理解して一緒に生きていく事だけだ。意思の疎通ができたって、魔獣が俺の言いなりに動く訳じゃねぇ」

 肩を竦めてみせた彼の態度が、大人であるが故の余裕なのかスコ自身の性格なのかはわからない。
 それでも、彼の言葉にオカリの眼に微かな苛立ちが滲む。
 それを無視して、笑みを消したスコは冷ややかな目でオカリの視線を受けた。

「俺とビカーは今日、グランディスからここまで飛んできた。だから知ってるぞ」

 ゆっくりと腕をあげ、まっすぐにオカリを指さし、深い声はよく通る声で告げる。

「グランディスで赤毛の魔獣がやられた。妙な武器を使って攻撃されたらしい。やったのは、美しい金髪の娘だ」

 お前だろ。

 責めるでもなく、怒鳴るでもなく、ただ静かに放たれた声に今度こそオカリの顔が青くなる。
 半歩引いた右足の下で、地面が小さな音を立てた。

「話が、早いのね」

 ひきつった笑みに乗せられた声は、心なしか震えているようにも聞こえた。
 スコとビカーを見るオカリの眼は相変わらずだが、彼女が動揺を隠そうとしているのは誰の目にも明らかだった。
 しかし華やかな声は、それを押し隠して物騒な言葉を並べる。

「それで、あなたはアタシのした事を罪に問いたいの? それとも報復でもする? 獣のお友達の、敵討ちでもするのかしら?」
「オカリさん」

 挑戦的に言うオカリに、ツツジがたしなめるように名前を呼ぶ。
 何か続けようとしたツツジを腕の動きで遮って、オカリは胸に手を当てた。

「ここでの決まりだっていうんなら、アタシはそれを受け入れるわ」

 まっすぐに向けられた言葉に、スコはゆっくり息を吐き前髪をかき上げる。

「郷に入っては郷に従え、か。そういう気質、嫌いじゃねぇ」

 にやりと笑った男は諦め混じりに「でもな」と首を振る。

「俺は報復だとか敵討ちだとかをしたい訳じゃねぇんだ。安心しな。アンタに何かしようとは思わねぇよ」

 スコの言葉にオカリの警戒が僅かに緩んだ。
相棒に目を向けた魔獣使いは仕方ないと言いたげに語る。

「こいつらと共生できれば、それが一番いい。けど、アンタの国はグランディスだ」

 古くから魔獣は悪だとみなされ、見つければ即通報、狩猟がなされる国で、スコの言う共生はとても厳しい。

「魔獣狩りを許す事は出来ねぇが、かと言って止める事もできない。俺に出来るのは、ただ記録するだけだ」
「記録?」

 いくらか顔色を取り戻したオカリは眉を寄せてスコの言葉を繰り返した。頷いたスコは「そうだ」と続ける。

 どんな魔獣がどんな場所に住んでいたのか。どういう性質を持っているのか。そいつの身の上に何があったのか。

「俺は各地を旅しながら、魔獣たちの事を記録してんだ。最後のひとりに出来る事なんざ、限られてる。今はこいつらを見守る事が、俺の役目だ」

 角の取れた声でそう言ったスコはビカーの首を二、三度叩いて再びオカリを見た。
 それに、と息をついてスコは軽く笑う。

「滅びゆく一族に、復讐や敵討ちなんて無意味だろ?」

 軽く肩を竦めた仕草はごく自然だった。
 何でもない事のように本人が口にした言葉で、マツラは彼が“最後の魔獣使い”と呼ばれる所以を思い出した。
 古くから魔獣と共に生きてきた一族の最後のひとり。だから、スコ・フラスという男は五老に守られ、時にその指令を受けて動いているのだと。
 そんな事は知る由もないオカリは不思議そうにスコの言葉を噛み締めているようだったが、少し考える素振りを見せたあとに低く呟いた。

「優しすぎるでしょ……仲間をやられたんなら、相手にはしかるべき処置で臨むべきよ」

 恨めしさすら滲む声。唇を結んで自分たちを見るオカリに、スコは溜息をつく。

「納得できないか」

 短い言葉のあとに、低く相棒の名を呼んだ。

「ビカー」

 瞬間、金色の軌跡を描いてビカーが地面を蹴った。
 大きく動いた翼が風を巻き起こし、地面近くを飛んだ金色の獣はまっすぐにオカリへと向かう。
 とっさに悲鳴をあげたマツラの目の前で。
 自分の方へ向かってくるビカーに目を見開いたツツジのすぐ隣で。
 大きな金色の前脚が、抵抗する間もなくオカリを捕らえて地面に押し倒す。

 それぞれオカリの名を呼ぶマツラたちの耳に、ビカーの低い唸り声が聞こえる。
 金色の体躯は大きく、地面に押さえつけられビカーに顔を寄せられているオカリの姿は殆ど見えない。
 それが一層恐怖だった。
 あの下で、鋭く光る牙に首でも噛まれていたら。大きな脚の鋭利な爪が深々と刺さっていたら。
 最悪の予想に、背筋がぞっとする。

「お嬢ちゃん、勘違いするな。俺らはグランディスの魔獣狩りに納得なんてしちゃいねえんだよ」

 緊迫した状況に対して、スコの淡々とした声がさらに恐怖を誘う。

「敵討ちなんて簡単だ。今、ビカーがアンタの急所をガブリといけばいいだけだ」

 一歩一歩、ゆっくりとビカーとオカリのほうへ歩み寄ったスコは、「でもな」と金色の毛並に手を添えると膝をついてその下に押さえられているオカリを覗きこんだ。

「娘に付き従う若き魔術師に礼を言ってくれ。……アンタらが殺そうとした魔獣からの伝言だ。わかるか? 優しいのは俺らじゃねぇ」

 スコの言葉に、ツツジがはっとしたように口を開きかける。
 ビカーに組み敷かれているオカリがどんな顔をしているのかは、スコ以外の誰にもわからなかった。

「覚悟決めてる奴の事は好きだがな、こういう事ばっかやってると早死にするぞ」

 忠告めいた言葉をかけて立ち上がったスコに続いて、ビカーも大きな体をゆっくりと持ち上げる。
 地面の上に横たわっているオカリは仰向けのまま、唇を噛んで空を見ていた。

「オカリちゃん! 大丈夫!?」

 駆け寄り膝をついたマツラを見、無言で頷いたオカリは一度目を閉じて息を吸う。

「あたしは」

 かすれた声に一度言葉を切り、唾を飲んでオカリは声を張り上げた。

「あたしは何が正しいのか知りたい!!」

 フリューゲルが敵だと示し、戦っていたもの。これまで自分が戦うべきだと思っていたものたち。
 そしてフィラシエルの魔術師たちが、正しいとすること。そしてこれから戦うべき相手のこと。

「何が間違ってたのか、知りたい!」

 声は切実で、マツラは思わずスコを見たが、魔獣使いの返事は素っ気ない。
 これから探せという言葉に、オカリはのろのろと目の上に腕を乗せる。
 その体が小さく震えているのを、マツラはどうする事もできずに隣で見守る事しかできなかった。

 オカリに背を向けたスコは、ツツジの方を見ると首を回して息を吐く。

「そういう事だ。アイツは、お前に礼を言ってくれと、確かにそう言った」

 それにしても、とちらりと背後を見て声を落とす。

「ありゃあ大した女だぞ。ビカーに押さえられても、しっかり目ぇ開いてこっち見やがった。顔色は悪かったが、冷静そのものだ。胆の据わり方が普通じゃねぇ。逆に心配になる」

 スコの知る限り、魔獣に襲われても動じなかった人間は数えるほどしかいない。
 その誰もが、一癖も二癖もある相手だった事を思えば、オカリも一筋縄で扱える相手でない事くらい簡単に想像できる。
 しかし、スコの記憶よりも随分大人びた少年は「オカリさんなら大丈夫」と優しく笑った。