案ずる人

 どうして自分が選ばれたのだろうか、と尋ねるツツジに、マツラは少し前の自分を見た。
 経験も実力も乏しいのは、マツラもツツジも同じだ。
 しかし、それを言えばツツジは諭すように首を振った。
 彼は、言外に「自分とマツラは同じではない」と告げたのだ。
 マツラは新緑の瞳を持っているから、自分とは違う、と。

 どうして、共に学んだはずのツツジまで。

 先輩なのは彼のほうだ。
 マツラよりもずっと多くの知識を持ち、魔法のコントロールもできている。

 ツツジを追いかけているのは、マツラのはずだった。

 私は特別ではない、ただ一介の下っ端だ。

 その言葉は、魔王が現れてから急速に真実味を無くしていってしまった。
 マツラを置いて、彼女の歩み寄りもずっと速い速度で。

「私は……ツツジたちが思うほど、すごくなんかないよ?」

 ツツジたちが戻ってくれば、また以前の日常が戻ると思っていた。
 いざ現実になってみて初めて、それは戻らないのだという声が胸に突き刺さる。
 外でもない、マツラ自身が原因で。

 せっかくの兄弟子の帰還だ。
 出来る限り明るく、笑って迎えよう。
 そう思っていたのに、マツラは表情をつくる事ができなかった。
 選んだ言葉は、ぽつり、ぽつりと零れ落ちる。

「出来ることだけを比べたら、まだツツジに追いつけてもいない。それなのに、自信もってやれると思う?」

 どうして自分が選ばれたのだろう。他にも適任者はいるはずなのに。

 ここにいる四人とも、その思いは同じはずだ。
 それなのにマツラだけが、魔王を倒す事がさも当然のように扱われている。

「本当は……すぐにでもカル・デイラに帰りたいのに……」

 最後に呟いた言葉に、師や兄弟子たちからの返事は無かった。
 こんな事を言って、雰囲気を悪くしたかった訳じゃない。
 言ったところで、ツツジにもラクトにも、ケムリにだってどうにもできないのだ。
 わかっていたのに、言ってしまった。

 俯いたマツラはスカートを掴む。
 言うべきではなかった。
 嘘でも明るい話題を振るべきだった。

 かつてなく重く沈痛な空気の中、それを打ち破るように絶妙のタイミングで扉が開いた。
 目をあげれば、水の五老スイがまっすぐにこちらへ向かってくる。
 何か問いたげなツツジに向かって、安心させるように微笑んだ彼女は四人の前まで来て立ち止まる。

「グランディスのお嬢さんはよく眠っているわ」

 その言葉を聞いて、今にも倒れそうだったオカリの様子を思い出し、胸を撫で下ろす。
 あれだけ軽口を叩いていたのだから、見た目ほどひどい状態ではなかったのかもしれない。
 スイの朗報に重かった空気が少しだけ緩む。
 しかし一転して、スイはツツジとラクトを睨んだ。

「あなたたち、よくもまあ無理をさせたものね」

 スイの低い声に二人の表情は強張り、ツツジの視線が狼狽えたように揺れる。

「これを言うと、あの子は怒るでしょうけど、言わせてもらうわ」

 前置きをした水の五老は告げる。

「あれは限界だった。部屋を出たら、もう一歩も動けなかったわ。気力だけで保ってたのね」

 あなた達二人は、もっと彼女の体調を気にかけてあげるべきだった。
 スイの言葉に、マツラはラクトとツツジを見た。
 二人とも、そんなに気の利かない性格ではない。
 オカリが無理をしていたのなら、察する事ができるくらいの甲斐性だってもっているはずだ。
 本当に、二人は彼女の体調に気が付いていなかったのだろうか。それとも、オカリがそれ以上の演技で誤魔化していたのか?
 苦虫を噛み潰したような顔でテーブルの上を見るラクトと、泣きそうな顔でスイを見るツツジから察すると、二人は全く気付いていなかった訳でもなさそうだが……

「あの子自身は気にしていないようだったけれどね」

 二人の様子を見兼ねたのか、溜息をついたスイは付け加えるようにそう言うと、今度は呆れたように帰国してきた二人を見比べる。

「あなたたちもいい加減休みなさい。信じられないくらいひどい顔」

 スイの言葉に改めて二人を見れば、確かに今すぐ休む事を勧めたくなるほど疲れているのが見て取れる。
 スイの意見に賛成だとばかりに、マツラは無言で頷く。
 積もる話は二人が旅の疲れを癒したあとでもできるはずだ。
 彼らが休んでいる間に、自分も少し心を落ち着けたほうがいい。

 しかし、「男って本当わかってない」と続いたスイのぼやきに、マツラはオカリが二人に気付く事を許さなかったのかもしれないと思った。
 武術国と呼ばれるグランディスからやってきた、昔話の王の色を写し取った女の子。

 彼女は、故郷の国ではどうしていたのだろう。

 ふと、そんな疑問が浮かぶ。

 古代の魔法使いミウ・ナカサは、グランディスの武術王デオ・ヒノコと共に魔王を倒しに向かった。
 フィラシエルの魔法使いと、グランディスの武術王。
 彼らは昔話の重要な登場人物であり、それぞれの国を象徴する人物だ。
 マツラがダケ・コシでミウと同じ力を持っていると騒がれているように、オカリもグランディスでは何かしらあったのではないだろうか。

 もしそうなら、彼女はわかってくれるかもしれない。

「オカリさんに、会いたいです」
「私は確かに欲しい物は遠慮なく頼んで、とは言ったけれど。それは難しいと思いますよ」

 唐突なマツラの言葉に、火の秘書アサヒは足を止めた。

「オカリ・ユフは面会謝絶だと聞いているわ。明日まで待ったほうがいいでしょう」

 難しい顔でマツラを見たアサヒは少し困ったように付け加える。

「どちらにしろ、明日になればあなたも自由に動けるようになるんだから。……彼女の事が気になるという気持ちはわかるけれどね」

 ツツジたちの帰還で、マツラの行動制限はほぼ解除され、明日から五老の城の中は自由に動いてもいいという許可が出た。

 しかしツツジとラクトが連れてきたグランディスの少女は水の五老の治療を受け、今日一杯の安静が言い渡されている。
 今後の彼女の処遇については五老に一任され、今まさにその話し合いが行われているはずだった。

 良くも悪くも、オカリは重要な存在だ。

 たとえ彼女にマツラのような特別な力が無かったとしても、マツラと魔王の存在をより強調するための鍵として、武術王の色をもつ娘の利用価値はじゅうぶんにある。
 アサヒの主であり、五老のリーダーでもある火の五老が、それを見逃すはずがない。

「焦らずとも、あの子は逃げたりできないでしょう」

 マツラははっとしたようにアサヒを見た。

「オカリさんも、私と同じなんですか……?」
「……私には、答えかねるわ」

 少し考えるような間を開けて答えたアサヒは「行きましょう」とマツラに背を向ける。

「さあ、このままここにいては余計に目立ってしまうわ」

 促され、マツラは慌てて彼女に続いた。
 彼女の言うとおり、廊下をゆく人の視線は嫌がおうでもマツラに向く。
 アサヒは微妙な立ち位置でその好奇と期待の視線からマツラを守ってくれていた。
 明日からマツラは一人でこの城内を動けるが、それはこの視線も全て自分で受け止めなければならないという事だ。

 閉じ込められる事で、色々なものから守られていた。

 好奇の目が、オカリに対しても不躾にその視線を向けることは想像するに易い。
 五老やアサヒは、異国からやって来たオカリの事も同じように守ってくれるのだろうか。

 自分の身を案じるべきだとは思いつつ、マツラは美しい金髪を持つ隣国の乙女の心配をしていた。