魔術師を束ねる者
扉の向こうには広間になっていた。
まっさきにツツジの目に飛び込んできたのは、部屋の向こうからこちらに駆けてくる、懐かしいふたつの顔。
続いて、黒いマントを羽織った五人の老若男女がゆっくりとこちらに歩いてくる。
ずっと会いたかった人が、目の前にいる。
「師匠……マツラさん……!!」
胸がどきどきするのは、一気に安心したからだ。
魔王を迎え撃ったと聞いたマツラは、修行の地カル・デイラを発ったときと何も変わっていないように見えた。師匠のケムリも、最後に会った時と同じに見える。
「ツツジ! おかえりなさい!」
目の前に来たマツラが息を切らせて言うと、ケムリが力いっぱいツツジを抱きしめた。
「よく頑張ったな!! 色々あっただろうが、深いことは気にせず、僕の胸で泣いてもいいぞ!!」
嬉しそうな師匠の声。それに比例するように込められた腕の力に呼吸が塞がれて苦しさにもがいていると、呆れたようなラクトの声が。
「おいケムリ、離してやらんね。なんかジタバタしよるぞ」
その言葉でやっと再会の熱い抱擁から解放されたツツジは、改めて師を見上げる。
優しく自分を見下ろしてくれる、黒い目。
満足そうにひとつ頷いたケムリは強い力でツツジの髪を混ぜた。
「おかえり、僕の一番弟子」
低い声がじわりと胸に沁みて、ひとつ頷く。
一歩さがり、ケムリとマツラを交互に見たツツジは背筋を伸ばし口を開く。
「ツツジ・ナハ、ただ今グランディス王都ツキサより帰りました!」
広間に響いたその声は、ツツジが思ったよりも大きく響いた。
フィラシエルに帰ってきたら、まっさきに会いに行くと約束したケムリの妻、ユウヒが今この場所にいない事だけが、心残りだった。
高らかなツツジの宣言。
それに答えたのは、ケムリとマツラに少し遅れてツツジたちのところまで来た五人組。
「ラクト・コヒにツツジ・ナハ。お疲れさま。予定よりも随分早い帰国になっちまったね」
年齢も性別も全くばらばらの彼らが何者か、もはや説明は必要なかった。
「ツツジ、あんたと会うのは初めてだね。お前さんも魔術師の端くれなら、説明は必要ないだろうけど、あたしらが五人の老魔術師だ」
小柄な老婆を中心に、今まさにツツジたちと向かい合う形で立つ彼らこそ、フィラシエルの魔術師たちの頂点に立つ存在、五人の老魔術師。
噂に聞く火の五老、ニチと思われる老婆の目がツツジからラクトに移る。
「下でごねたのは、ラクト、あんただね? 魔法陣の使用を許可していたのは、うちから派遣した二人だけのはずだよ」
鋭い眼光を放つ彼女は、魔法武道の使い手として名を馳せた過去を持つ。
「さて、三人目はいったい何者なのかと思って来てみれば……」
ニチの溜息の続きを引き継いだのは、頭の禿げあがった枯れ木のような老人、土の五老シイだった。
「二人とも、なんちゅうお嬢さんを連れて来たんじゃ」
それはまさしく武術王デオ・ヒノコを例えるに相応しい容姿じゃないか。
彼の言葉に、そこにいる全員の視線がオカリに向かった。
いまだ顔色の優れないオカリは、それでも背筋を伸ばして二人の老人をじっと見る。
「オカリ・ユフです。あたしの事は……」
考えるように口ごもる彼女の代わりに、すらりとした長身の男性が穏やかな笑みのまま頷く。
「ラクトからの報告書で聞いているよ。ツキサの人々の敬愛の眼差しを一身に受けているお姫様だと」
「お姫様は言い過ぎだろ、フウ」
横から割り込んできた子供の声。
風の五老は苦笑しながら、口を挟んできた木の五老、モクを見る。
「それでも、聖女様と呼ぶよりは、お姫様のほうがまだましなんじゃないかな?」
おっとりとしたフウの言葉に、どちらも大差無いと呟いてオカリは顔をしかめる。
それに気付いたツツジが声をかけるより先に、それまで黙っていた女性が一歩前に進み出た。
「移動魔法陣に酔ったのかしら? 顔色が悪いわね」
小さく首を傾げるのは、水の五老、スイ。
声をかけられたオカリは、彼女に視線を移し唇を結ぶ。
自分の弱みを見せる事を嫌うオカリは、体調が悪い事を素直に認めないだろう。
このまま放っておいても、彼女は何の返事もしないに決まっている。
答えないオカリの代わりに、ツツジがスイに答える。
「オカリさんは、本当ならまだ安静が必要なんです」
ちらりとツツジを見たスイはまっすぐオカリの前に歩いていくと、正面からオカリを見据えた。
「魔術師相手に自分の病状を告白することは抵抗があるかしら?」
スイの言葉に、静寂が落ちる。
グランディスでは、魔術師は悪だと言われ、次の敵に掲げられている。
敵を相手に自分が弱っている部分を言うのは抵抗があるか?
スイが言いたかった意味がわかったのか、オカリの目がちらりとツツジを見、そしてまた目の前の魔術師に向く。
「ツツジの言った事が本当なら、あなたは相当な無理をしてここまで来たはずね? 私は水の五老、スイ。治療魔法が専門よ。あなたが治療が必要な病人だというのなら、私はあなたの診察をするわ」
優しい声でそう言ったスイは、そのかわり、と続ける。
「自分がどういう状態なのかは自分で言いなさい。それが嫌なら、私はあなたに対して一切何もしない。……自分の身体を粗末に扱って意地を張るくらいなら、最初からこの国に来るべきではなかったって事。わかるでしょう?」
にこりと微笑んだスイに、オカリは唇を噛みツツジは「そんな」と呟く。
ケムリの隣で、マツラが何か言いたそうにしていたが、彼女がその一言を発する前にスイを睨むようにしていたオカリが首を振った。
「アナタ、こんなに男性も見ている目の前でアタシを診察しようっての? せめて別室でやってもらいたいんだけど」
皮肉たっぷりの口調に、口元の笑み。
軽く目を見開いたスイは仕方ない、というように息をついてひとつ頷いた。
「もちろん、ちゃんと別室があるわ。少し歩いてもらわないといけないけれどね。ではニチ様、私は彼女を連れていきますね。しばらく抜けさせていただきます」
振り返ったスイに、ニチは数回頷く。
こっちは先に話を進めておく、という言葉に返事をしてた水の五老は、オカリを連れて広間を出ていく。
二人が退室した瞬間、一気にその場の空気が和らいだような気がして、ツツジは自分の肩の力が抜けたのを感じた。
オカリとスイの会話は、妙な緊張感が重くまとわりついていた。
自分の目が届かないところで、オカリがまた妙な発言をしなければいいが、という不安は拭い去れないが、それを口にする前に一同は大きなテーブルのある部屋に通された。
それぞれが席についたところで、口を開いたのはニチ。
詳細は送ると言っていたのに、それを届ける事ができなかった事を一言詫びたあと、彼女は少し疲れたような声で続けた。
「門番から、何があったか聞かされたかい?」
問いに、ツツジとラクトはそれぞれ頷く。
「魔王がダケ・コシに現れ、昇位試験が中止になったと」
「そう。そして、魔王が放った魔法に誰も動けずにいた所、たまたま居合わせたマツラだけが、その影響を受けなかった」
ニチの言葉に、マツラの表情が僅かにこわばったが、気付いているのかいないのか、ニチの言葉はさらに続く。
「上位魔術師の誰一人として、対抗できなかったにも関わらず、だよ。理由は明らかだね。マツラが緑眼の持ち主だったからに他ならない。己の身に魔法の源である新緑を持つマツラは、やはりミウ・ナカサと同様に唯一魔王に対抗できる力を持っている」
「我々は、魔王ケイ・オレンに対抗する策を打たなければならない。更に言うと、かつてミウ・ナカサが成し得なかった、魔王の討伐を成功させなければならないんだ」
ニチに続けて、フウは言う。
魔王討伐隊を結成する、その中心に据えるのはマツラしかいない。そのために、マツラをカル・デイラに帰す訳にはいかず、ケムリと共にここに留まってもらっている。
「そして、マツラ・ワカと共に往く者として、我々は君たちを討伐隊のメンバーに選びたいと思っている」
組んだ指を解くと、フウはまっすぐにケムリを指す。
「カル・デイラの教育者にして魔術師、ケムリ・マリ」
伸ばされた指は、そのまま隣のラクトに。
「多くの地を知る国境の魔術師、ラクト・コヒ。そして、成長途上の魔術師、ツツジ・ナハ」
長い指が、ラクトからツツジに向けられた。
自分の名を呼ばれた意味がわからず、ぽかんとしている間にフウの指は下ろされる。
「君たちは、マツラ・ワカと共に魔王討伐隊として動いてもらう。もちろん、我々五老や、ダケ・コシ所属の他の上位魔術師も全力でサポートにあたる。まだここには来ていないが、王宮の魔術師も今回は協力してくれる事になっている」
穏やかなフウの声は、ツツジの耳にひどく事務的に聞こえた。
五老の言っている事は滅茶苦茶だ。
上位魔術師でも歯の立たない相手に、初級魔術師のマツラをぶつける。
マツラが緑眼を持つ魔術師である以上、それはまだわかる。
しかし、彼女と共に魔王討伐に向かうのは、本来ツツジのような下位魔術師ではなく、多くの経験を積んだ上位魔術師のほうがいいに決まっている。
誰がどう考えてもそれは明らかだ。
それなのに、今グランディスから戻ってきたばかりの自分たちを魔王討伐のメンバーに入れて、一体何をしろと言うのか。
何が起こるのかわからない不安と同時に、ツツジは討伐という言葉に、オカリと共に行った魔獣狩りを思い出さずにはいられなかった。
暮れかけの森に満ちる火薬の匂いと、獣の咆哮。
魔王は魔獣とは違う。それでも、あの身体が竦む恐怖は討伐という単語に繋がるようにしてツツジの頭に蘇る。
「僕には……」
無理です。
小さな声が音になる直前。
「まあ、疲れているだろうから今はこの位で切り上げようかね」
ツツジの言葉を遮るようにニチが椅子を立つ。
続いて椅子から飛び降りたモクは少し生意気な子供の笑顔を向けてきた。
「ツツジとラクトにも部屋を用意してあるよ。昼まで休みなよ」
次の手を打つまでは、五老の城で待機するように。
そう言い残して、彼らは部屋を出ていった。