武国の花にさよならを
ドアを開けると大きなかばんが床に置かれていた。
ツキサに来たときにラクトが持っていた荷物が、来たときと同じ形にまとめられている。
腕を組んだラクトは、待ちかまえていたと言わんばかりに立ち上がった。
「俺のぶんは終わったけん、自分の荷物ばまとめろ。わかっとると思うけど、持ってきた物だけ持って帰る。面倒やけん、夜のうちに出るぞ」
支給された物品は置いていく。
そうなれば、二人の荷物は来たとき同様かなり少なくなった。
ここで暮らした間に増えたものもあるが、持ち帰る程の物となるとそれも少ない。
胸に手を当てて乱れた息を整えながら頷き、深呼吸を二、三度繰り返してからツツジは唾を飲み込んだ。
「その前に、ラクトさん、いいですか」
問題が起こりました、というツツジのせりふにラクトは嫌な予感を感じた。
それは彼の表情を見ていたツツジにもわかったが、言わなければいけない。
そして、結論を出さないと。
「オカリさんに、魔術師だとばれていました」
ツツジが告げた言葉に、ラクトの表情が固まる。
「おまえ、しくったな?」
細心の注意を払え、とは何度も繰り返した言葉。それを今のタイミングで身元がばれたとはどういう事か。
説明を求めるラクトに、ツツジは続ける。
「僕らと一緒に、フィラシエルに行きたいと、言われました」
どうしますか。
尋ねる言葉に、ラクトは目を見開き、そして顔をしかめる。
「意味が分からん。気付いたのはお姫さんだけか? 他の奴らに報告しとらんとか? そもそも、なんでお姫さんは一緒に行くとか言い出した」
早口で返してきたラクトはがしがしと頭を掻く。
漏れたため息は重く、ツツジはオカリの言った言葉を繰り返す。
「ゼンリ・ズチの人形になるのは嫌だと。王宮に行った彼は、もっと力をつけて、いずれフィラシエルに攻撃をしかけてくるとオカリさんは言いました。彼の計画を狂わせるために、自分を連れて行けと」
昔話に登場する、伝説の王の色彩を写した高潔で勇敢な少女。
この国の人々を惹きつけて煽るのに、オカリ以上の適役はいない。
今のフリューゲルが熱狂的に支持されているのは、彼女の役目によるところも大きい。
彼女は自分の役割をわかっている。
わかった上で、フィラシエルへ連れて行けと言い出した。
「偽物は身を引く、て事やろか」
ツツジの話を聞いて、ぼそりと呟いたラクトは自分の言葉に不思議そうな表情をしたツツジを見る。
「それにしても連れて行くリスクが高い。ついでに、お姫さんは怪我人やったな? 生憎俺は治療術は使えん。そいはお前も同じのはず。移動魔法陣まで行くとが問題やっとに、そこに着く以前に足手まといになられたら困る」
まだ他の人間に広まっていないのなら、一刻も早くここを出るのが賢明だ。
「せっかくの申し出ばってん、お姫さんには諦めてもらう。悪うはない申し出かもしれんけど、時期の悪すぎる。怪我した自分ば呪ってもらう事にして、俺らはさっさとダケ・コシに向かうぞ」
オカリは連れて行けない。
それは最初からわかっていた事だった。
けれど、ツツジは素直に頷く事ができず、唇を結んで床の荷物を見た。
時間が無い。
自分のぶんも、早くこの形にまとめなくてはいけない。
早くしろと急かすラクトに押されるようにして、自分の部屋へ駆け込んだ。
背後ではラクトがひとりで喋り続けている。
うまくいっていると思っていたのに、最後の最後でバレてはいけない所がバレるし、今帰ったところで昇位試験には間に合わない。お前の呼び込み体質は最後まで相変わらずだったな。
ぶつぶつと言うラクトの声を聞きながら、ツツジは部屋じゅうの引き出しと戸棚を次々にあけていく。
決まった期間が過ぎれば去ることの決まっていた場所で、持って帰るべき荷物はやはり少ない。
ツツジが次々と引っ張りだした物を、ラクトが手際よくかばんに詰めていく。
手を動かしながら、ツツジは気になった事を口にした。
「さっき、偽物はなんとかって言いましたよね。あれ、どういう意味ですか」
疑問を感じているようにも、納得しているようにも取れる口調。
そしてその言葉は、オカリが偽物だというようにしか受け取れなかった。
しかし、ツツジはオカリが二人いるところなど見た事もないし、影武者がいるなんて事も聞いたことすらない。
だが、ラクトはそのままの意味だと、顔もあげずに調子をつけて謡いあげるように言う。
「魔獣と魔術師の脅威におびえるこの国を救うべく武術王デオ・ヒノコが、少女の姿を借りて現代に蘇った。勝利の乙女は、彼の再来である」
オカリ・ユフという人を語るとき、必ずついてくるあおり文句は、ツツジにも聞き覚えがあった。
人々が信仰する昔話の王と、その姿を写した勝利の乙女。
だからこそ人々はオカリを擁するフリューゲルに熱中する。
荷物をまとめる手を止める事無く、ラクトは少しふざけたような声を作った。
「嘘、うそ、ウソ。ぜーんぶ作りもん」
妙に歯切れのいい言葉。
ツツジは手を止めて、まじまじとラクトを見た。
全部つくりもの。
ラクトの明るい声が刺さったように頭の中で繰り返される。
作業を止めることなく、ちらりとツツジを見たラクトは軽くため息をついて、ツツジの手が動いていない事を指摘した。
「お姫さんの事、少しばかり調べさせてもろうた。どういう訳か、ツキサに来る前のオカリ・ユフの事はなかなか情報も出てこんやった。やけん、ちょこっと手を広げてな」
これだけ人目にさらされているのに、ツキサ以前の彼女の事はほとんどわからないし、話にものぼらない。
ゼンリが魔獣狩りに出た先でオカリと出会い、ツキサに連れてきた。
それ以上の事はなかなか知る事ができず、ラクトは他者の協力を得てオカリの過去を調べた。
オカリ・ユフはツキサから遠く離れた田舎町の生まれ。
家は代々戦士を輩出してきた家系で、父親は町の有志である。
かつて北方の国まで長い旅に出ていた父親が連れて帰ってきた、北国の女がオカリの母親。
彼女には三人の兄がいるが、彼らは若くして亡くなった前妻の子でオカリとは異母兄弟になる。
長兄は正式に家を継ぐ事が決まっているという。
「デオ・ヒノコの写しと言われとるお姫さんの髪色は、北国出身の母親に似たっちゃろ。グランディスの人間にしては珍しかと思いよったけど、これで疑問は解決した。オカリ・ユフは純粋なこの国の人間じゃない。武術王の再来と言われながらも、半分はどこか遠い北方の人間の血が混ざっとる」
だからこそ得る事のできた身体的特徴でもあるが、果たしてこの事が広まってなお、彼女は昔話の王の名を肩書きに頂く事ができるだろうか。
北の地には、オカリのような髪色の人間は大勢いる。
彼女の持つ色は特別な物ではなく、遠い土地では当然の物なのだ。
「あとはお姫さんばツキサに連れてきて、デオ・ヒノコの名前を付けてお披露目すれば良か。ゼンリ・ズチにとって、お姫さんに異国の血が混ざっとろうが、そがん事は関係無か。特定にも暇のかかる田舎町やけん、そがん情報はツキサまでは届かん。ゼンリはいい拾い物ばしたとしか言いようのなか」
オカリはこの大きな街で、確かにフリューゲルの勝利の乙女として充分な役割を果たしたかもしれないが、所詮は偽物でしかない。異国の血を引く彼女は、この国の基礎を築いたと言われる王の再来になど、決してなれはしない。
「流石のお姫さんも、国王に呼ばれたとあってとうとう怖気づいたとか。……さあ、荷物はこれで終わりか?」
終わったなら行くぞ。
事務的な口調で告げたラクトは立ち上がる。
ツツジはその動きにつられるようにして自分の荷物を抱え、彼の後を追う。
頭の中で、声がぐるぐると回る。
人形のままは嫌だと言ったオカリの、全部に負けられないという言葉。
オカリは偽物だと言ったラクトの、全部が作り物という言葉。
初めてツツジがフリューゲルの屯所に連れて行かれた日に会った、オーキ・シンという文官の言葉と、オカリの席に飾られる黄色い花。
テーブルの彩りであるその一輪が、どうしてもツツジは気になってしまった。
ただの深読みであればいい。それに越したことはない。
そう思ってオカリに尋ねたのは、もうずいぶん前の事のような気がする。
「この花が好きなんですか?」
何気ないふうを装ったツツジの問いに、オカリはきょとんとして首を左右に振ったのだ。
「気付いたら毎日置いてあるだけ。あっても無くても関係ない」
彼女の答えがイエスならば、ツツジはそれを受け入れ、何の疑惑が残る事も無かっただろう。
しかしオカリは「花なんて興味ない」という言葉を続けて放った。
オカリは、そして、フリューゲルに属する他の団員たちは、気付いていないのか。
誰かが毎日、オカリの席に同じ花を置く。
その花の意味は、偽り。
誰かが毎日、無言のままオカリに囁きつづけている。
お前は偽物だ、と。
本当はうっすらと気付いていた。
オカリ自身も、何かしら思うところはあったのではないだろうか。
負けられないと言った彼女は、本物になろうとしていたのではないか?
そんな彼女が。
負けず嫌いで、プライドが高いように見える自信家のオカリが、フィラシエルへついて行くと言い出した。
今まで積み重ねてきたもの全てが崩れると、解っていながら。
そこまで言わせて、彼女をこのまま置いて行っていいのだろうか。
何者かが悪意をもってオカリの傍にいる。この場所に、このまま彼女を残して自分だけ国に帰ってもいいのか。
手早く荷物を背負ったラクトがツツジを振り返り、ぐるりと室内を見まわす。
「この家にもさよならだ」
割り切るような言葉に、迷いを消そうと頷くが、ツツジの気は晴れない。
沈んだ表情に、ラクトは励ますようにツツジの肩を叩いた。
「お姫さんなら自力でこの先もやっていける。実際お前に会うまではそがんしよったっちゃけん、気にする事なか」
ラクトの言う事は間違っておらず、確かにそうに違いない。
自分を納得させようと頷いた声は、驚くほど明るかった。
「短い住まいでしたね。フィラシエルに返るとしましょう」
伸ばした手で握り慣れたドアノブを掴む。
もう二度と戻って来る事は無いだろうとドアを引いた時。
黒い外套をかぶり、闇に溶け込むようにしてドアのわきに座る人影が目に入った瞬間、二人は我が目を疑い言葉をなくして立ち尽くした。