相棒は思案する

 気持ちばかりの変装をしたオカリに途中まで送ってもらい家に着くと、ツツジはひとつ息をついてドアに手をかけた。
 この数時間で起こった事をラクトに説明する必要がある。
 無茶をして、と怒られる事は目に見えていたし、それについては言い訳のしようもない。
 意を決してドアノブを回した。

 その隙間から次の瞬間手が伸びてきて、強い力で中に引き入れられる。

 すぐさま閉まったドアに押しつけられ、驚きに目を見開いたツツジの目の前には、彼に向かって剣を突きつけるラクトがいた。
 ツツジの喉元でぴたりと静止しているひややかな切っ先。ラクトはそれと同じくらい鋭い視線でツツジを見る。

「どういう事か、説明ばしてもらおうか」

 いつも快活に笑う顔には不機嫌が居座り、おそらく彼は何か聞いたのだと知るには十分なひとこと。
 頷いたツツジは、ゆっくりと答えた。

「知っていたんですか」
「パン屋のおかみさんに聞いた」

 だから言わんことじゃない、と吐き捨てたラクトが剣をおろす気配はない。

「俺には何のことやらさっぱりわからん。どいつもこいつも、興奮しとって話にならん。やけん、お前の帰りば待っとった」

 苦々しいその口調に、ラクトが昼間どんな気持ちだったのか考えると申し訳ない気分でいっぱいになる。
 出かけたツツジは帰ってこないし、興奮した近所の人からはツツジがオカリの供人となった事を伝えられ、状況が呑み込めずにいたに違いない。
 そもそもラクトは、オカリが何者なのか知らないはずなのだから。
 しかし、説明しようにも突きつけられた剣先の鋭利な光はツツジの口を閉ざさせる。
 ラクトが怒っているのは明らかだ。
 ツツジの意志とは関係なく、とんでもないテンポで事が運んだとはいえ、すべて終わったあとに彼に報告するというのは、さすがにまずかったかもしれない。

「お前の会いに行った、オカリとかいう女は何者だ? おばさん連中はやれ大恋愛だの、お姫様のお気に入りだのと訳わからん。この国の王女はひとり、まだ五つにもならん子供やったはず。ツツジの言いよった女とは一致せんし、他は全部王子やった。なら、あとお姫さんと呼ばれそうな奴は貴族しかおらん。オカリていう女は、貴族か」

 どうやら、噂好きの一部ご婦人がたの間ではオカリとツツジは謎の大恋愛をしているという設定が生まれているらしいと知り、ツツジはなんとも言えない気分になった。

 果たしてこれは笑ってもいいのだろうか。

 オカリはきっと、自分に恋愛感情など抱いていないはずだし、ツツジのほうもオカリと恋愛をした覚えはない。

「僕がみたところ、オカリさんは王族でも貴族でもありません。おそらく、王宮に入った事も無いでしょう」

 もしもオカリが貴族だったならば、わざわざ街の自警団のようなところに降りてきたりはしなかっただろうし、ゼンリの言うことを聞いたりもせず、気に入らないオーキの事もさっさとクビにできるはずだ。

「それよりもゼンリ・ズチのほうが貴族あたりに引きがあるように見えます。団長というからには、フリューゲルの屯所を用意するにあたって、少なからず彼本人も関わっているはずですから」

 立地に申し分のない街の中心街にある大きな屋敷と、部屋ごとに差はあるようだが、立派な家具。
 自費で用意したのならそれだけの資金が彼の手元にはあるという事だし、誰かに頼んだのだとしても人脈があるという事。
 何よりフリューゲル自体の維持費が必要なはずだ。
 慈善活動にしても、収入は必要になるし、いくら魔獣の毛皮が高値で取引されるとはいえ、魔獣を狩っただけでそれが賄えているとは思いがたい。
 逆に、魔獣を狩って得た収入だけで成り立っているのなら、彼らはいったいどれだけの数を狩っているのかという話になる。

「待て待てツツジ、ゼンリってのは誰だ。お前、今日だけで何ば見てきた? 順番に説明せんね」

 ツツジの言葉を遮って、ラクトは剣を引く。
 淡い光を放って、剣はコインに姿を変える。ラクトがはじいたコインは、彼の魔法媒介だった。
 やっと解放されたツツジは困ったようにラクトを見上げる。

「まずは、報告が最後になってしまった事を謝らせてください。言い訳になりますが、途中で帰ってくる事ができませんでした」
「そがん事やろうと思うとった。何に巻き込まれた?」

 顔をしかめたラクトは勢いよく椅子をひいて腰掛けた。ツツジもテーブルを挟んで向かいの椅子に座り、事の次第を説明しはじめる。
 オカリ・ユフという少女のこと。
 彼女を聖女として持ち上げる自警団、フリューゲルと、彼らが行っている活動。街の人々が彼らを熱烈に支持していること。

「フリューゲルが発足したいきさつはまだわかりません。けれど今日話した人に、王宮の騎士団よりも彼らのほうが立派だ、と言った人がいました。それは、裏がどうであれ、表向きに彼らは国王や王宮の意志とは別のところで活動しているという事だと思うんです」
「やけん、お前はオカリは王族や貴族とは無関係やと思ったっていう事か」

 頷いたツツジに、ラクトは天井を仰ぐ。

「で? これからどがんするつもりか、考えとらん訳じゃなかろうもん」

 問いかける声には疲れが滲んでいた。
 ツツジの報告に、ラクトは一気に肩が重くなったような気がした。

「僕は、チャンスだと思ったんです」
「チャンス?」

 復唱するラクトに、ツツジは「そうです」と首を縦に振る。

「フリューゲルは魔獣を狩っています。彼らの演説は、明らかにフィラシエルを敵視するものでした。彼らが国王の意志とは無関係に行動していたとしても、このままいけば人々に与える影響はどんどん大きくなるでしょう」

 現時点で一応の平和を保っているフィラシエルとグランディスで、フリューゲルは相手に対する敵対心を隠そうとしていない。

「敵の中に潜り込むのは、一番手っとり早く情報を得る方法じゃなでしょうか。しかもオカリさんは上層部に近い場所にいる。彼女と親しくなる事は僕らに利益をもたらします」
「おいおいおい、正気か?」

 思わず目を見張って言い返すが、ラクトはツツジの表情を見て再び天井に目をやった。
 正気も正気、至ってまじめ。
 まっすぐな目は止めても無駄だと言っている。

 ラクトは深く息をついてテーブルに肘をつく。
 どうしたもんか、と呟いて再びツツジを見、もう何度めかのため息をついた。

 ツツジは彼の師からの預かりものでもある。

 魔術師としてはまだ未熟で、この任務に選ばれた事自体が奇跡としか言いようがない少年。
 彼の師匠であるケムリ・マリとその妻はツツジがこの任務につく事を反対したという。

 それは当然の事だ。

 ツツジはまだ学ぶ事が多すぎる。彼よりも多くの事が出来る魔術師は山ほどいる。
 ツキサにいる間修行が止まってしまう事も、あまり良くない。それがわからないような奴ではないはずなのに、ツツジは志願した。
 ラクトにもその気持ちはわからなくもないし、理解できる。おそらくケムリも同じだ。

 だからこそ、最終的にツツジの選択を優先させたのだ。
 もしもここにケムリがいたら、愛弟子の行動になんと言うだろう。
 考えてみるが、その答えは明白だった。

 止めるに決まっている。それこそ、夫婦そろって全力で。

 ケムリの妻はこの国がまだ内戦状態にあった頃、傭兵としてグランディスにいたと聞く。魔術師ではない彼女は、己の腕一本でかなりの所までのし上がっていったらしいがラクトも詳しく話を聞いた事はない。
 それでも、ラクトやツツジの周りの人間で武術国グランディスについて一番詳しいのは彼女をおいて他にはいない。

 彼女はケムリよりも誰よりも反対するはずだ。

 そんな二人を説き伏せてグランディス行きを認めさせたツツジを、果たして止める事ができるのか?
 答えはわかりきっていた。
 ラクトが止めてもツツジは決断した事を実行するに違いない。
 大人しそうに見えるツツジは、意外と頑固なのだ。
 ここは折れるしかない、とラクトは腕を組む。

「俺はな、お前はケムリの弟子にしちゃあ大人しくて扱いやすそうな奴だと思いよった。ばってん蓋ば開けてみたら、とんでもなか。ケムリやユウヒさんに霞んどっただけやった。お前、なんちゅう巻き込まれ体質や」

 悪漢に絡まれては美少女に助けられ。調査内容にかなり近い場所にいた彼女に気に入られ、敵のただ中に丸腰で就職。

「言うとくけどな、もう一瞬も気を抜いたらいかんごとなる。いつ、何時も。わかっとるやろうね?」

 かわいい弟分を「勝手にしろ」と突き放す事はできず、面倒がられるかもしれないと思いながらも、ラクトは何度も気をつけるように言った。
 ダケ・コシ本山や五老との連絡がこの先全部自分の仕事になる上に、最初予想していた以上に慎重にならなければいけないと思うと憂鬱になる。
 それと同時に、売れない商店を開く予定だったがこれはどうしたもんか、と何の緊張感も無い事を思い出して彼はちいさく苦笑した。

 そして次の日の早朝から、ツツジはフリューゲルの屯所に通うようになった。