届けられた証

「助かった!!」

 その声にマツラは目を見開いた。
 濃い金色の髪に葉を絡ませた青年の背には大きな荷物。それをどさりと地面に投げ出して、彼はケムリを見た。

「ケムリ!! お前いい加減、こがん山ん中に住むとは辞めろ!! 俺が一体どんだけ山ん中で迷いよったと思って……!!」

 勢いよく掴みかかってきた青年をすいと避けて、ケムリは小さく目を見開く。

「迷ってたのかい?」

 まさか冗談だろう。
 そんな言葉が続きそうな声色に、顔をしかめた青年は忌々しそうに答えた。

「途中でイノシシと会うて、逃げたら迷った」
「なんだって!! やっぱりいるんだな!?」

 がっしと青年の腕を掴んだケムリは、ぐいと彼に迫る。

「ラクト、そいつは僕らの敵だ!!」

 ラクトと呼ばれた青年は訳がわからないというように、自分よりも体格のいい相手を見上げた。続けて、こいつは何を言っているんだ、という表情でちらりとマツラとツツジを見る。
 どうやらケムリとツツジはこの青年と知り合いらしい。マツラはツツジの服を軽くひっぱった。

「誰?」

 紹介を求めれば、ツツジが口を開くより先に、耳慣れない訛りの男はケムリを押しのけてマツラの前に進み出た。

「俺はラクト・コヒ。ダケ・コシ所属の魔術師で、国境の魔術師って呼ばれよる」

 猫を思わせる目を細め、人懐こい笑みでラクトはマツラに向かって手を差し出す。

「あんたがケムリの新しい弟子やろ? よろしく、緑眼のお嬢さん?」
「マツラ・ワカです。よろしくお願いします、ラクトさん」

 差し出した手を握り返し、丁寧に頭をさげたマツラをしげしげと眺め、ラクトは感心したようにその顔を覗き込んだ。

「お嬢の噂はダケ・コシで聞いてきた。……しかしまあ、ほんとに見事な緑色しとるねえ」

 金色がかった茶の瞳が、まっすぐにマツラを捉えた。彼女に興味を持っていると隠そうともせずに。マツラの手を離したその右手が、額にかかったマツラの前髪をそっと払う。

「新緑ば溶かして流し込んだごとしとる」

 低く囁くように向けられた言葉に、マツラは言葉を無くす。
 いつか読んだ物語に、似たような場面が無かっただろうか。その時、少女は青年に愛の告白をされていたが、どうやら自分は目の色について評価されたようだ。
 どう少なく見積もっても熱の籠った言葉では無い。にも関わらず。
 直前のラクトの行動により、とてつもなく恥ずかしい事をされたような気がしてしまう。
 ものすごく、はずかしい。
 顔が赤くなるのを感じ、思わず半歩後ろに下がったところで、ツツジがふたりの間に割り込んできた。

「あんまりじろじろ見ないでくださいよラクトさん!! マツラさんも困っているでしょう!?」
「別に減るもんじゃなし、よかろうもん」
「よくない!」

 珍しく強い口調でラクトに抵抗するツツジに後を任せる事にして、そそくさとケムリのほうへ寄っていくと、ケムリはにやりと笑った。

「ラクトはグランディスとの国境あたりに拠点を置いて旅をしているんだ」

 さて人も増えた事だし帰ろうか、とラクトが放り出した荷物を抱え上げ、ケムリはしめたとばかりに声を落とす。

「ラクトも来たとあれば、ユウヒさんのご機嫌を誤魔化せる可能性も、更にあがるね。うん、流れはこちらに向かっているぞ」

 マツラも笑顔ユウヒに詰め寄られるのは勘弁してほしかったし、ケムリの作戦が成功する事を祈り、同意するように頷いた。


「あなたの後ろの金髪のが、うちの畑を荒らしていたのかしら?」

 しかし獲物を仕留めぬままに帰宅したケムリに、ユウヒの第一声は厳しかった。
 言葉に詰まったケムリに変わらぬ笑みを向けていた彼女は、その笑顔のままラクトを見る。

「畑の野菜はおいしかった? ん? ラクト?」
「……ユウヒさん相変わらず鬼やん!! ちょ、ちょっと待ってくださいよ!?」

 そのまま襟首を掴まれかねないと、ラクトは慌てて背負っていた荷物をおろす。

「ユウヒさんにお土産ば持ってきたとです! ほら! これ!! だけんちょっと落ち着いて!」

 言いながら、彼が荷物から取り出した包みをユウヒに差し出す。
 それを受け取ったユウヒの表情が、輝いた。

「これ、もしかして」
「今ダケ・コシで一番人気の菓子店の、期間限定チョコレート。ユウヒさん、好きそうと思って」
「好きもなにも、私はダケ・コシにいたときからここのお菓子を贔屓にしていたのよ! 流石ラクトは分っているわね!!」

 打って変わって、彼女の笑顔に温度が戻り、今日はラクトに免じて許してあげる、とケムリに告げると一同を家の中に招き入れた。
 ひとまずは安心だとケムリは深く頷き、ほっとしたのはマツラやツツジも同じ事で、ラクトの来訪はタイミングが良かったとしか言いようがない。
 そんな彼は、やはり荷物をごそごそと漁りながら、ケムリに話しかけた。

「頼まれとった物も持ってきたばい。確かこの辺に……お、あった。これこれ。魔術師指定、キイト織物店の初級魔術師用マントな」
「ありがとう、助かるよラクト」

 ぽい、と差し出された茶色の包みを受け取ったケムリに、ラクトは「まだある」と今度は小箱を取り出した。

「こっちが魔術師証」

 小箱は茶色の包みよりも幾分か丁寧に渡された。受け取ったケムリは小箱をマツラに差し出す。

「これは君のものだ」

 促され、受け取った箱を開けると今度は紺色の、布張りの箱が出てきた。
 さらにその蓋を開けると、金色に光るブローチが収まっている。
 双葉を抱く六芒星の紋章。
 見覚えのある意匠に、マツラは目を見開いた。双葉を抱く六芒星はダケ・コシ本山から発行される、魔術師の証明証だ。普段は身に着けてはいないが、ケムリやツツジも同じものを持っているはずの物。

「師匠、これ……」

 見上げたケムリは、マツラの言いたい事を察したように頷いた。

「ダケ・コシ認定の魔術師証だ。で、こっちは君のマントだよ。まあ、ここでは特に必要はないけど、公式行事の時には着けるといい」

 気分は大切だから、なんなら今から着けても構わないけどね、と笑いながら、ケムリは最初の包みを開けると、出てきた朱色の布をマツラの肩にかけた。
 マントと言うには少々丈が短いそれは、鮮やかな色を視界に残す。

「どうしてもね、こういう指定された物っていうのは本山で受け取るしかないからね。ラクトが丁度ダケ・コシに滞在していてくれて助かったよ」
「俺も噂に聞くケムリの新弟子の顔を拝みたかったのもあったけんね。ほら、ぼけっとせんで、ちゃんと着て見せんね」

 横から手を出したラクトが、マツラの手の中小箱からのブローチを取り出し、左胸の上あたりでマントを留めるように針を刺した。
 布一枚の重さが柔らかく肩に乗ると、お茶の入ったカップを持ってきたユウヒが声をあげる。

「あら、よく似合ってるじゃない。初級魔術師の朱色。早くそれが黒になるといいわね」

 マントの色は、魔術師のレベルによって変わる。
 初級の朱から始まり、下位の空色、中位の深緑、そして上位の黒。
 朱色は修業を始めたばかりの新米の色。昇位試験に合格すれば下位魔術師へ昇格できる。それでも独り立ちにはまだ遠く、中位魔術師として一定の実務経験を積んで初めて独立開業が許される。そして上位魔術師になって初めて弟子を取ることができる。
 ケムリはこう見えても上位魔術師で、ツツジのほうは空色の下位魔術師だった。ラクトのほうも、中位かそれ以上の資格を持っている事は、ケムリとの会話からなんとなく感じられる。
 自分が朱色だった頃を懐かしむケムリとラクト。そして少し前に朱色を卒業したツツジ。
 彼らに対して、自分はどうだろうか。
 マツラは改めて自分の肩にかかった鮮やかな朱色を、小さく引っ張った。
 カル・デイラに来た日、精霊との契約という最初の一歩で躓いてしまった、その事を改めて思い出し、そのまま手を握りしめる。
 これは、まだ自分が受け取るべきものではない。

「私……まだ、これを身につけちゃいけないと思います……」

 属性識別にすら失敗し、精霊との契約すらできていない自分は、初級魔術師としての資格すら無いのではないだろうか。
 果たしてこのマントと、そして魔術師証を身につけても良いものか?
 このままでは、いくらダケ・コシ本山からその証を与えられても、魔術師であると名乗る事はどこか後ろめたい。
 彼らが許してくれても、マツラの心にはしこりが残る。

「師匠、せめて最初の……属性識別をもう一度お願いします」

 それさえ無事に済めば、万事うまくいく。
 マツラにはそんな気さえした。
 停滞はカル・デイラに来た初日の、属性識別に失敗した瞬間から始まっているのだと。

「そうじゃなきゃ、私、これを受け取るなんてできません」

 緑の目の色だけで選ばれ、それだけで魔術師の資格を与えられた、何もできない田舎娘。
 今の自分は誰にそう言われても言い返す事はできない。
 村で一番の刺繍をしていた娘は、ここにはいない。いるのは飛び出した世界で早くも挫折しそうになっている、新米魔術師と呼べるのかどうかも怪しいただの小娘だ。
 一度広がったように見えた世界が閉じていくのを実感している。
 後悔はしたくないと頭の中の自分が叫ぶ。

 俯いたマツラに、ケムリは少しだけ目を見開いて、すぐにラクトを見た。
 本山からマツラに与えるための品を運んできた魔術師は、一体どこまでを聞いてきたのだろうかと考えたが、すぐに愚問だと気付く。
 マツラの属性識別が失敗に終わり、ケムリはダケ・コシ本山、五人の老魔術師に連絡を入れた。魔術師たちの頂点に立つ彼らと、ラクトが本山で会っているに違いなく、彼らからマツラの事を聞いていないはずがない。それがどこまでの内容かは別にして、どんな形であれ五老がこの男に、解決策を与えている可能性は非常に高い。

「ラクト、どう思う?」

 それを踏まえて問いかけると、腕を組んだラクトは顔をしかめて答える。

「ダケ・コシを出る前、俺がニチ様になんて言われたか教えてやろうか?」

 ダケ・コシでケムリが困ってるはずだから、適当に手助けしてやりな。
 ぶっきらぼうにそう言って、ラクトは額に手を当てた。

「俺はてっきり、畑を荒らされれとる事とばかり……!」
「おや、マツラの事は聞いていなかったのかい?」

 当てが外れたとばかりに目を開いたケムリに、ラクトは首を振る。

「ケムリんとこに新しい弟子が来たっていうのは聞いとった。緑眼の女の子、ってだけ。まさか属性識別が出来とらんとは思わんやった」

 そりゃあ困りもする訳だ、溜息まじりに続けて、ラクトはマツラとケムリを交互に見た。

「ばってん、喜べお嬢。五老から預かった物のある。たぶん、この案件ば解決できる品の入っとるはず」

 そう言ったラクトは、懐から一通の封筒を取り出した。